嬉しいから表現する -370 ターンエーの癒し:あなたの人生が勇気に満ち溢れる555冊の多読成功術
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2010年01月18日

二メは最近になって
ジャパニメーションだとか
日本の文化だとか言われるようになってきた産業ではある

今回の本
ターンエーの癒し
富野 由悠季

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著者は「機動戦士ガンダム」を創った人
宮崎駿もそうだが日本のアニメというものの歴史を変えた人物の一人に
入る人であることは間違いない。

いわばアニメというものを社会に影響させた人物の一人である
といっても過言ではない。

しかし、その道はちっとも平坦でなく
華やかなものでもなかった。。。




【目次】

第1章 ターンエーの前
第2章 ぼくだって人の間で生きている
第3章 ターンエーの時代



【書感】


ターンエーと呼ぶこの記号を頭に冠したガンダムが放映されていたのは
僕が高校生のころで楽しみにしていた最終話が有珠山噴火でお流れになって愕然としたのを
記憶している。


というのはどうでもいい話なのだが、この「∀」
「全てを含む・包括する」という意味。



呪縛・欝・内なる力


ガンダムを創ったことによって著者は色々な悩みを抱えた。

人気のあるように見えるガンダム
実は初代の機動戦士ガンダムも打ち切りにされている作品なのだが
「ガンダムX」というガンダムで放送枠が朝型になったり、
打ち切りになったりと散々な時代があった。
(ガンダムXは富野氏の作品ではない。)

その予兆はバブルがはじけた頃
「子供は戦艦のようなものが好きなんだよ。あなたはそれがわかっていない。戦艦大和みたいなのがでて、カメラがガーッとまわりこむような絵は、格好いいじゃないですか。」

というバンダイの管理職の発言が元に
機動戦士Vガンダム」という作品が生まれた。

これは結果的に自身で創ったガンダムを「潰すぞ」という意気込みで
富野氏は創った作品で
カルト集団的な背景の中で、少年をえがくというテーマ

まぁここではあまりふれないが「おかしいですよ!」
と思えるところを箇条書きにすると次の通り

・ペンフレンドで憧れだった女性がラスボス
・女性で編成された味方が全滅
・ギロチンで・・・
・戦艦にタイヤをつけたバイク戦艦で行われる殺戮
・敵の捕虜になりショタプレイ
・救おうとした母親が目の前で死亡、ヘルメットをみると・・・

てな感じで相当凄まじい内容になっている。

そんな背景には「ガンダム」によってボロボロになった
著者がいたわけだ。

うつ病になり
著者が奥さんを杖になんとか歩けるぐらいになったり
目眩、耳鳴り、寝込む・・・

読んでいるだけで心に詰まるものがあるのだ

しかし、「死」を考えることは
「生」を考えること

という方向にむかっていく・・・

生と死のような根源的なテーマ



先ほどの生と死
実のところ死というのは無なのかもしれないが
それは人からみたら無という存在ではない。

ジョーゼフ・キャンベルという人の言葉が引用されているが
『毎日毎日儀式を繰り返すことで、人は精神的に逸脱を免れる』

著者はこの儀式を「葬式」を含んで考えている。


死というのは残された者、生きていく者たちへの不安要素なのかもしれない。


そして、不安というのは外に向かって動くことはなく、それは不健康になっていく


何かこれを読むと
不安が大きい人ほど、日々を儀式化し
儀式にするからこそ不安がなくなり
道が開けていっているなんていう皮肉さを感じてしまったりする。


表現・高みへ



高みとうのは表現手法でない
心に触れるか触れないかであって、それは技法のなかにはふくまれていない
シェイクスピアが、なぜ現代でも上演されるのか?
それは現在でもクラシック音楽が演奏されているという事実に解答があるようにおもえる。
となれば、それはひろい意味での物語であり、その語りの高みだからではないだろうか?


このように書いてあるが
人間というのは意外と進歩しているようで進歩していないのかもしれない。
古典というか、確立されてしまったものはもうそこで型があって
ある程度表現され尽くされてしまっていると考えるとネガティブなのかもしれないけれど
意外と事実でシェイクスピア、クラシックといったいわゆる古典を超える必要性はないのかもしれない。

ただし、表現するということは後述するが
時代によってその形を変えようとしているのも実は事実だったりする。


さて、ここまできて肝心の「∀」の話題に触れていないのだが

ターンエーガンダムという物語で今までのガンダムという物語は全て
「黒歴史」という過去の遺産になっている。

これは自身で「全てを全否定し、全てを全肯定する」という
ただ自己陶酔するのでもなく、ただ自己破壊をするのでなく
今までのどちらか直球だったものを
意図的に投げた変化球という表現を著者はしている。

うまく文章というもので紡げないので
作品を見てというのが残念ながら一番のメッセージになるのだが

安田朗氏のデザイン、
シド・ミード氏のメカデザイン

谷村新司、西城秀樹などの一流の人達の関わりなど
非常に興味深く、綴られているのであえてここでは語らない。

特に興味深いのは菅野よう子氏の
仕事っぷり

著者も絶賛しており才能と表現している。
その中でも作詞:井荻麟(富野氏) 作曲:菅野よう子 の「月の繭」はとっても深い。




ただ、この「∀」という作品は好き嫌いはあるにしても

未来に賭けるために、目の前の現実に冷静にならなければいけない
それぞれの人々が支え合うことでしのぎながら、未来を獲得していかなければならない。

厳しさを拭うための物語、自分は幸せだと実感できる物語、それをずっと紡ぎ続ける
生きていくための物語


そう、少なくとも、見てよかったと
与えてくれる作品なのではないかなと思えるし、
本書であぁこういう見方もあるのかと感じることで
かれこれ10年経ってしまっているわけだけれども
また違った発見があるのかもしれない。


嬉しいから・・・


本書の中で著者が若者へのメッセージとして

自画自賛なのだが、新しい発見があるのだから、どうしようもない。
これが嬉しいのだ。
嬉しいから書くのである。
顔は、頭は、真っ直ぐにあげてあるいてみよう。
そうすれば、そこに、自分を見つめてくれているひとの目がある、とわかる。
それに気づくことは、安心の元を手にいれることだ。
そして、自分で自分を見つめる瞳をえがくのは、あまりやらないほうがいい、
というメッセージも、ビジュアル社会に生きなければならない若者たちにはお伝えしておきたい。


とある。

この世は確かに、個だし
永遠に孤独かもしれない。

だけれども、「個」はあきらかに
周囲を感知して初めてアイデンティティとなる。
見てくれる目もしっかりあるということ
それがなかなかわからないのだけれども
真っ直ぐ、真っ直ぐ世界を歩いていくのが
いいことなのかもしれない。

一度は絶望の淵に落ちた人が
創作することによって
嬉しさを取り戻す。

そんな流れも読み取れたし
人は表現していかなくてはいけない。

それは自分という眼でなく、
他者の眼を感知した上で。


さらにその上で嬉しさを感知するために。
心から嬉しいと感知できるときが始まりなのかもしれない。


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富野 由悠季

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【後記】
個人的に年末年始は病み気味(肉体的にも精神的にも)だったので
非常に参考になる本であった。
記事内には書かなかったけれども
著者なりの男の弱さを書いた文は非常に関心がいくものだった。

しかし、自分の文章力本当に無いなぁ〜と痛感する。
やっぱり表現し続けないといけないわけだなぁ〜。




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