2010年01月20日
人は気づいた頃から
教育といういわゆる教えというものを
受けていて
気づいたら『何か』になるような
そんな思想のもとで教育なんてものを
受けているわけですが
今回の本
教え上手
有田 和正
[Amazonで詳しく見る
]
では受身なだけの教育というのが
いかに面白くないものか、どうしたら
自ら伸びる人になるか?
という命題に沿って書かれています。
サンマーク出版小野様より献本頂きました。
ありがとうございます。
さて、教えるってそもそも何なのだろうか?
教育といういわゆる教えというものを
受けていて
気づいたら『何か』になるような
そんな思想のもとで教育なんてものを
受けているわけですが
今回の本

有田 和正
[Amazonで詳しく見る

では受身なだけの教育というのが
いかに面白くないものか、どうしたら
自ら伸びる人になるか?
という命題に沿って書かれています。
サンマーク出版小野様より献本頂きました。
ありがとうございます。
さて、教えるってそもそも何なのだろうか?
【目次】
【書感】
物心ついたとき
いつの間にか教育の結果が「点数」なんてもので
明示されている。
だが、それはテストの結果であって
人間なんてものは本質的には点数なんて安易なもので
表現できないもの、と僕は思いたいわけです。
ただ、本書でいう教育、教えることというのは
とあります。いわゆる先生の為の教科書みたいな感じもしてきました。
イチローを例に書かれていますが
イチローが非凡なのは技術や個性が独創性のかたまりでなく
基礎基本をしっかり体得し、忠実にプレーしているという強みがあります。
この基礎基本というのは教えることの難度が非常に高い
とも書かれています。
ただ、イチローの例にもありますが、この基礎基本が独創性、成長力の揺るがぬ土台に
なっているとも書かれています。
では、その土台をどのように築いていくか
3つの視点で紐解いていきたいと思います。
1から10まで全てを教えるということが教えることか、と言われると
そんなことはありません。
"わざと間違った事実を提示する”
"もっとも肝心な部分をあえて教えない"
なんてテクニックが書かれています。
教える側がこれを戦略的にやると
教わる側は「んっ?」となります。
ただ、この「んっ?」が考えるためには大切で
1から10まで教えてしまうと
ただ、それをこなせばいい
なんて発想にもなってしまいガチだと考えます。
イタリア人ガイドと日本人ガイドの例が本書には書いてあるのですが
日本人ガイドは1から10まで全てを説明しようとしたのですが、
イタリア人ガイドは結構テキトーだけれども重要な部分を強調したため
メリハリがありました。
人の記憶に残るのは言うまでもなく後者になります。
まぁ国民性などもあるのですが、まぢめにやるだけでは人には伝わらない。
そこは教え惜しみによって自分で考えろよ!
という発想を培わなくてはいけない部分なのかもしれません。
「ながめる」ということは
ただボケェ〜とするのと変わりません。
そのボケェ〜を繰り返しているうちに、なんだ?
と「はてな?」という発想が加わると「ながめる」が「見る」に変わります。
そして具体的に「はてな?」を発見すると、それは「よく見る」になります。
「よく見る」をしていくと経過、経緯を観察することになって
「見続ける」に変わります。
そして、「見続けた」結果「見抜く」=理解するということにつながるそうです。
机上の勉強もいいですが、実際に見るから進化した知識に関しては
体で感じているわけで定着が異なります。
よく現場が大切なんていわれる言葉はこの当たりが関係しているわけです。
教える側はここで
「どんな体験をさせて知識にするか」とか
「どうしたら足を使った体験的な知識を得られるか」
というのを戦略的に考える必要があるのですね。
ここの手腕の違いで相当いい教え手、悪い教え手の差がつくような気がしてなりません。
最初のイタリア人の例もありましたが
印象に残るのは残念ながら、まぢめではなくユーモアがある方です。
そんなユーモアや笑いは難しいよ〜という人も当然いるでしょう。
そこで書いてあることが、”自分を笑え”ということです。
「相手を笑わせる」というはプロができる高等な技術
そういえば昔、「めちゃイケ」か何かでよゐこの浜口さんが
自分ひとりで笑って周りを笑わせていく
という芸なのかバツゲームなのかをやっていました。
まず自分が笑ってしまえば場をなごますことができますし
それに加えて自分を自虐的でもいいので笑ってしまえば
誰も傷つけずになごみを生むことができます。
よく笑ってくれている教え手なら
教わる側もなごむことができますからね。
ということで、教え手に重要なことを
本書からピックアップしてみました。
大切なのは「教え手」もあんまり"まぢめ”にやりすぎずに
教え惜しみをしてちょっといぢわるしてみたり、
足や体験で「見る」ということが楽しいと教えることだったり
しかめっつらではなく、笑いをつくってなごみを創る
ということなのかもしれません。
これは職場でも学校でも通ずる点も多々あるでしょう。
部下が生徒がいうことを聞いてくれない
なんて考えているのだったら
あなたが部下や生徒にユーモアを提供できていない証拠です。
もっと肩の力を抜いて、
伸び伸び楽しくやったらいいんじゃないでしょうか。
そうすりゃ伸び伸び楽しい部下や生徒が生まれるでしょう。
教え上手
有田 和正
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]
【後記】
教えることって難しいですよね。
いつまでも教わっていたいなんていう弱さを人間どこかに
持っているのかもしれません。
でも常に教え手、教わり手に人間はなるもので
両方ともがバランスよくないと良くないのでは〜
と思ったりもします。
物事をよく「見て」成長したいものです。

今日もお付き合いいただきありがとうございました。
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○ 考えることは問いかけること
○ 多く伝えようとしたら、少なく教えよ
○ イタリア人ガイドがおもしろいワケ
○ 3つの「発問」が人の心を自在に動かす
○ すぐれた教え方は「教わった」という感覚を持たせない
○ 「大切さ」を説いても人は動かない
○ スイカを端から食べる人はいない
○ 何を材料に選んだかで7割が決まる
○ 人の能力は書いたものにあらわれる
○ 叱ることも教える人の責任
【書感】
物心ついたとき
いつの間にか教育の結果が「点数」なんてもので
明示されている。
だが、それはテストの結果であって
人間なんてものは本質的には点数なんて安易なもので
表現できないもの、と僕は思いたいわけです。
ただ、本書でいう教育、教えることというのは
教わる人に学びたいと思わせる「技術」を持ち、かつ、彼らを
思いやるような心とユーモアを備えた「人間性」を持つ人のこと
とあります。いわゆる先生の為の教科書みたいな感じもしてきました。
土台は基礎基本
イチローを例に書かれていますが
イチローが非凡なのは技術や個性が独創性のかたまりでなく
基礎基本をしっかり体得し、忠実にプレーしているという強みがあります。
この基礎基本というのは教えることの難度が非常に高い
とも書かれています。
ただ、イチローの例にもありますが、この基礎基本が独創性、成長力の揺るがぬ土台に
なっているとも書かれています。
では、その土台をどのように築いていくか
3つの視点で紐解いていきたいと思います。
教え惜しみ
1から10まで全てを教えるということが教えることか、と言われると
そんなことはありません。
"わざと間違った事実を提示する”
"もっとも肝心な部分をあえて教えない"
なんてテクニックが書かれています。
教える側がこれを戦略的にやると
教わる側は「んっ?」となります。
ただ、この「んっ?」が考えるためには大切で
1から10まで教えてしまうと
ただ、それをこなせばいい
なんて発想にもなってしまいガチだと考えます。
イタリア人ガイドと日本人ガイドの例が本書には書いてあるのですが
日本人ガイドは1から10まで全てを説明しようとしたのですが、
イタリア人ガイドは結構テキトーだけれども重要な部分を強調したため
メリハリがありました。
人の記憶に残るのは言うまでもなく後者になります。
まぁ国民性などもあるのですが、まぢめにやるだけでは人には伝わらない。
そこは教え惜しみによって自分で考えろよ!
という発想を培わなくてはいけない部分なのかもしれません。
「ながめて」知識にするまで
「ながめる」ということは
ただボケェ〜とするのと変わりません。
そのボケェ〜を繰り返しているうちに、なんだ?
と「はてな?」という発想が加わると「ながめる」が「見る」に変わります。
そして具体的に「はてな?」を発見すると、それは「よく見る」になります。
「よく見る」をしていくと経過、経緯を観察することになって
「見続ける」に変わります。
そして、「見続けた」結果「見抜く」=理解するということにつながるそうです。
机上の勉強もいいですが、実際に見るから進化した知識に関しては
体で感じているわけで定着が異なります。
よく現場が大切なんていわれる言葉はこの当たりが関係しているわけです。
教える側はここで
「どんな体験をさせて知識にするか」とか
「どうしたら足を使った体験的な知識を得られるか」
というのを戦略的に考える必要があるのですね。
ここの手腕の違いで相当いい教え手、悪い教え手の差がつくような気がしてなりません。
自分を笑え
最初のイタリア人の例もありましたが
印象に残るのは残念ながら、まぢめではなくユーモアがある方です。
そんなユーモアや笑いは難しいよ〜という人も当然いるでしょう。
そこで書いてあることが、”自分を笑え”ということです。
「相手を笑わせる」というはプロができる高等な技術
そういえば昔、「めちゃイケ」か何かでよゐこの浜口さんが
自分ひとりで笑って周りを笑わせていく
という芸なのかバツゲームなのかをやっていました。
まず自分が笑ってしまえば場をなごますことができますし
それに加えて自分を自虐的でもいいので笑ってしまえば
誰も傷つけずになごみを生むことができます。
よく笑ってくれている教え手なら
教わる側もなごむことができますからね。
ということで、教え手に重要なことを
本書からピックアップしてみました。
大切なのは「教え手」もあんまり"まぢめ”にやりすぎずに
教え惜しみをしてちょっといぢわるしてみたり、
足や体験で「見る」ということが楽しいと教えることだったり
しかめっつらではなく、笑いをつくってなごみを創る
ということなのかもしれません。
これは職場でも学校でも通ずる点も多々あるでしょう。
部下が生徒がいうことを聞いてくれない
なんて考えているのだったら
あなたが部下や生徒にユーモアを提供できていない証拠です。
もっと肩の力を抜いて、
伸び伸び楽しくやったらいいんじゃないでしょうか。
そうすりゃ伸び伸び楽しい部下や生徒が生まれるでしょう。

有田 和正
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【後記】
教えることって難しいですよね。
いつまでも教わっていたいなんていう弱さを人間どこかに
持っているのかもしれません。
でも常に教え手、教わり手に人間はなるもので
両方ともがバランスよくないと良くないのでは〜
と思ったりもします。
物事をよく「見て」成長したいものです。

今日もお付き合いいただきありがとうございました。
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コメント一覧
1. Posted by ゴリクン。 2010年01月21日 22:03
この本には考えさせられましたね
教えるには、忍耐が必要なんだって
何かに気づいた気がしました
時間がゆっくりと、でも深く心に刻まる感じが
たまらなく好きですね

教えるには、忍耐が必要なんだって
何かに気づいた気がしました

時間がゆっくりと、でも深く心に刻まる感じが
たまらなく好きですね

2. Posted by hiro 2010年01月22日 01:47
>ゴリクンさん
「考えさせられる」というのは見事に
著者の術中かもしれませんね!
刻まれる本に出会えると確かに良いですね。
「考えさせられる」というのは見事に
著者の術中かもしれませんね!
刻まれる本に出会えると確かに良いですね。