2010年02月12日
村上春樹の本を
僕は"まともに”読んだことがなかった。
そして以降まともに読むことをしないだろう。
今回の本
海辺のカフカ
村上 春樹
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]
今更?
と捉えられるかもしれないし、
「今だから」とも捉えられる
僕にはそうやって訪れたのが
今回の「海辺のカフカ」という作品。
まぁ勝手に解釈していこうではないか。
僕は"まともに”読んだことがなかった。
そして以降まともに読むことをしないだろう。
今回の本

村上 春樹
[Amazonで詳しく見る

今更?
と捉えられるかもしれないし、
「今だから」とも捉えられる
僕にはそうやって訪れたのが
今回の「海辺のカフカ」という作品。
まぁ勝手に解釈していこうではないか。
【目次】
【書感】
言葉
の"重さ”というのは本によってはボディーブローのように
人の心をづけづけと踏みにじるのだが
この「海辺のカフカ」も僕のこころをぐちゃぐちゃと掻き回してくれる
その世界観はリアリズムにあるのかもしれないけれども
まぁ概ね無視すれば良いと思う。
読んだままを感じる。
うーん難しいと感じるかもしれないし
痛々しく、バイオレンスに猫を引き裂く表現がやたら頭の中に残るかもしれないし
生々しく、艶やかかつ、生理的に書かれる性描写が残るかもしれない
それをどう、どのように感じても
この作品に関してはいいような気がする。
ってことで今回は"僕”が感じたものを
そのまんま書いていこうかと思う。
物語は奇数章は15歳の少年
偶数章は空っぽのおじさんが主人公として描かれていく。
僕がこれを書いている時。
自分の15歳は何をしていたか?
なんてことを思うわけである。
早、約12年という歳月が経っているし
その頃、具体的な"何か”を思い描いていたか
と考えるとそんなこともない。
きっと今こうやってもっと
世界を知れとか、視野を広くもて、な〜んて
今の僕が、あの頃の僕に言っても「興味」ってものが異なるわけで
何も生まれなかっただろうし
"それ”がなかったからきっと"現在”という今がある。
15歳の少年が家出をするという視点に立つと
どうしても「自分」というものを対比してしまう。
正直なところ、この15歳の少年、田村カフカ君には
感情移入もできなかった、むしろ嫉妬という感情を
抱いてしまったかもしれない。
それくらいに彼は、本を読んでいるし
知識をもっている。
端から見たら立派な器を持っているわけ。
それでも人は何かしら悩んだり、もがいたりするわけで…
本書を読んでいると多岐多様にわたる
引用がみられる。
その理由としては本文の中に
という理由があるからだろう
メタファーってものがストーリーを大いに盛り上げてくれる。
気に入った台詞まわしの一部をここに書いておこう。
さっきも書いたが、メタファーというのは物語の主
物語の中盤から登場する元自衛隊の星野青年という登場人物が
僕を投影するにはちょうど良い
15 歳が主人公としてはおかれているが
その15歳を投影するにはちと違うわけで
きっとそれは自分が青年と呼ばれる年齢にもなっているわけだし
そのホシノ青年は本書のもう一人の主人公であるナカタさんを通じて
時間の共有をし、彼の死を通して
期間は短いかもしれないけれど
大きな成長を遂げていく。
としっかり自分に向きあうことができるようになり
と残す。
彼もメタファーに導かれて
新しい自分になっていくわけで
このホシノ青年の台詞は心に響くものが多かった。
そんな何か「新しい世界の一部に」という成長は
読み手に心地よさを与えてくれた。
今こうして書いていることは実は全てが
幻かもしれないし、眠っている中 "夢”として描いている
妄想が実は現実なのかもしれない。
そんなリアルがどちらかなんていうのは実のところ
誰にもわからないのかもしれないわけで
わかる必要もないのかもしれない
物理的にほっぺたをつねってこれが
現実と理解する方法もあるだろうし
世界はそんなに簡単に解釈できるものではないのかもしれない。
でも新しい世界は常にやってくる。
起きていても、寝ていても
この"今”ある自分の意志というのはなんかしらの形で尊重すべきだし
その意志が伝わらずとも事切れれば
それはそれでそのまま、おしまいなのかもしれない。
まぁ結局のところその答えは
自分で歩いて、自分で見て、自分で考えて紡いでいくものなのだから
誰かに言われたから
とかいう外的情報は本当のところ関係ないのかもしれない。
自分の意志という考えで動いて問題はないが
それが自分だけで成っているとは決して思ってはいけない。
いま僕を成している
この器は対したことのない義骸なのかもしれないけれど
この意志は色々なものが紡がれて
新しい世界に備えるために成っているんだな
って思えれば、それはそれで意味のあるものだと感じられるから。
15歳くらいの少年が読むのもよし
20歳くらいの少女が読むもよし
25歳くらいの青年が読むもよし
50歳くらいの女性が読むもよし
60歳くらいのおじさんが読むもよし
物語の意図なんて
理解する必要もないけれど
その年齢だから気づく言葉の重さがあるだろう。
"今更”なんてやる前から決めてみると
本当に後悔することが多くなってしまうものだなぁ
海辺のカフカ
村上 春樹
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]
【後記】
読書はしているのだが
なかなかoutputしづらい本ばかりに最近は
あたっている。まぁこれも基盤をつくる期間として
耐えよう(爆)
短い2月だからこそ
短期集中ではないですが
頑張りたいところです。

今日もお付き合いいただきありがとうございました。
twitterやってますのでお気軽にfollow me!

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目次は特に無い。
奇数章では15歳の少年の話
偶数章ではナカタという老人の話が紡がれる
【書感】
言葉
の"重さ”というのは本によってはボディーブローのように
人の心をづけづけと踏みにじるのだが
この「海辺のカフカ」も僕のこころをぐちゃぐちゃと掻き回してくれる
その世界観はリアリズムにあるのかもしれないけれども
まぁ概ね無視すれば良いと思う。
読んだままを感じる。
うーん難しいと感じるかもしれないし
痛々しく、バイオレンスに猫を引き裂く表現がやたら頭の中に残るかもしれないし
生々しく、艶やかかつ、生理的に書かれる性描写が残るかもしれない
それをどう、どのように感じても
この作品に関してはいいような気がする。
ってことで今回は"僕”が感じたものを
そのまんま書いていこうかと思う。
物語は奇数章は15歳の少年
偶数章は空っぽのおじさんが主人公として描かれていく。
15歳
僕がこれを書いている時。
自分の15歳は何をしていたか?
なんてことを思うわけである。
早、約12年という歳月が経っているし
その頃、具体的な"何か”を思い描いていたか
と考えるとそんなこともない。
きっと今こうやってもっと
世界を知れとか、視野を広くもて、な〜んて
今の僕が、あの頃の僕に言っても「興味」ってものが異なるわけで
何も生まれなかっただろうし
"それ”がなかったからきっと"現在”という今がある。
15歳の少年が家出をするという視点に立つと
どうしても「自分」というものを対比してしまう。
正直なところ、この15歳の少年、田村カフカ君には
感情移入もできなかった、むしろ嫉妬という感情を
抱いてしまったかもしれない。
それくらいに彼は、本を読んでいるし
知識をもっている。
端から見たら立派な器を持っているわけ。
それでも人は何かしら悩んだり、もがいたりするわけで…
メタファーの美しさ
本書を読んでいると多岐多様にわたる
引用がみられる。
その理由としては本文の中に
「でも人間はなにかに自分を付着させて生きていくものだよ」と大島さんは言う。
「そうしないわけにはいかないんだ。君だって知らず知らずそうしているはずだ。ゲーテが言っているように、世界は万物はメタファーだ」
という理由があるからだろう
メタファーってものがストーリーを大いに盛り上げてくれる。
気に入った台詞まわしの一部をここに書いておこう。
想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。
過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取り返しはつく。しかし、想像力を欠いた狭量さ非寛容さは寄生虫と同じなんだ。
「関係性がひとつひとつ集まると、そこに自然に意味というものが生まれる。関係性がたくさん集まると、その意味もいっそう深くなる。ウナギでも親子丼でも焼き魚定食でも、なんでもいいんだ。わかるかい?」
「つまり相手がどんなものであれ、人がこうして生きている限り、まわりにあるすべてのものとのあいだに自然に意味が生まれるということだ。いちばん大事なのは それが自然かどうかっていうことなんだ。頭がいいとか悪いとかそういうことじゃないんだ。それを自分の目を使って見るか見ないか、それだけのことだよ」
自分なりにメタファー
さっきも書いたが、メタファーというのは物語の主
物語の中盤から登場する元自衛隊の星野青年という登場人物が
僕を投影するにはちょうど良い
15 歳が主人公としてはおかれているが
その15歳を投影するにはちと違うわけで
きっとそれは自分が青年と呼ばれる年齢にもなっているわけだし
そのホシノ青年は本書のもう一人の主人公であるナカタさんを通じて
時間の共有をし、彼の死を通して
期間は短いかもしれないけれど
大きな成長を遂げていく。
「ちょっと込みいってくるとすぐにすたこら逃げちまう。自慢じゃないが、逃げ足だけは速い。だからこれまで、何かを最後までとことんつきつめたということがないんだね。それがホシノくんの問題点だ」
としっかり自分に向きあうことができるようになり
「これから何かちょっとしたことがあるたびに、ナカタさんならこういうときどう言うだろう、ナカタさんならこういうときどうするだろうって、俺はいちいち考えるんじゃねえかってさ。なんとなくそういう気がするんだね。で、そういうのはけっこう大きなことだと思うんだ。つまりある意味ではナカタさんの一部は、俺っちの中でこれからも生きつづけるってことだからね。まぁあんまりたいした入れ物じゃねえことはたしかだけれどさ、でも何もないよりゃいいだろう」
と残す。
彼もメタファーに導かれて
新しい自分になっていくわけで
このホシノ青年の台詞は心に響くものが多かった。
そんな何か「新しい世界の一部に」という成長は
読み手に心地よさを与えてくれた。
今更読んだ価値
今こうして書いていることは実は全てが
幻かもしれないし、眠っている中 "夢”として描いている
妄想が実は現実なのかもしれない。
そんなリアルがどちらかなんていうのは実のところ
誰にもわからないのかもしれないわけで
わかる必要もないのかもしれない
物理的にほっぺたをつねってこれが
現実と理解する方法もあるだろうし
世界はそんなに簡単に解釈できるものではないのかもしれない。
でも新しい世界は常にやってくる。
起きていても、寝ていても
この"今”ある自分の意志というのはなんかしらの形で尊重すべきだし
その意志が伝わらずとも事切れれば
それはそれでそのまま、おしまいなのかもしれない。
まぁ結局のところその答えは
自分で歩いて、自分で見て、自分で考えて紡いでいくものなのだから
誰かに言われたから
とかいう外的情報は本当のところ関係ないのかもしれない。
自分の意志という考えで動いて問題はないが
それが自分だけで成っているとは決して思ってはいけない。
いま僕を成している
この器は対したことのない義骸なのかもしれないけれど
この意志は色々なものが紡がれて
新しい世界に備えるために成っているんだな
って思えれば、それはそれで意味のあるものだと感じられるから。
15歳くらいの少年が読むのもよし
20歳くらいの少女が読むもよし
25歳くらいの青年が読むもよし
50歳くらいの女性が読むもよし
60歳くらいのおじさんが読むもよし
物語の意図なんて
理解する必要もないけれど
その年齢だから気づく言葉の重さがあるだろう。
"今更”なんてやる前から決めてみると
本当に後悔することが多くなってしまうものだなぁ

村上 春樹
[Amazonで詳しく見る

【後記】
読書はしているのだが
なかなかoutputしづらい本ばかりに最近は
あたっている。まぁこれも基盤をつくる期間として
耐えよう(爆)
短い2月だからこそ
短期集中ではないですが
頑張りたいところです。

今日もお付き合いいただきありがとうございました。
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