2010年05月04日
人生というものは
本来楽しいものである。
いらない圧力、いらない情報
如何にいらないもので満ち溢れてしまっているかを
考えさせてくれるのが
今回の本


ご冗談でしょう、ファインマンさん
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400冊目だけれども
400冊目で紹介するのは勿体無いぐらい
そんな素晴らしい生き方がこの本に詰まっている。
本来楽しいものである。
いらない圧力、いらない情報
如何にいらないもので満ち溢れてしまっているかを
考えさせてくれるのが
今回の本


ご冗談でしょう、ファインマンさん
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400冊目だけれども
400冊目で紹介するのは勿体無いぐらい
そんな素晴らしい生き方がこの本に詰まっている。
【目次】
【書感】
ネタに満ち溢れる
それは、テレビでお笑いなんかで味わう楽しさとは異なり
日常のユーモアさからくる楽しさ
そんな楽しさを本書の主人公リチャード・P・ファインマンが贈ってくれる。
ファインマンさんといえば物理学でノーベル賞を取っているわけだが(詳細は wikipedia参照)
本書に関して言えば物理学オンリーではない。
興味深かったことを紐解いていこうと思う。
幼年期祖母のホテルのお手伝いでの様々な実験
MIT(マサチューセッツ工科大学)での日々、原子爆弾開発プロジェクトのためのロスアラモス国立研究所での研究
コーネル大学教授時代のブラジル滞在、カリフォルニア工科大学教授・・・などなど
まぁ、これだけ聞いても様々な体験をしているわけ。
という言葉が現しているとおり、好奇心を持って何事もチャレンジしていく精神は
本書全体からみられるのですが、その好奇心は見習うべきものが多い。
ブラジルで”科学”について講演した際、当時のブラジル(ブラジルに限らずほとんどの国)に
『自然をじかに経験する』ということが大切であるということを証明している
たまたま引いた教科書の「摩擦ルミネセンス」という用語を説明するエピソードがある。
こういう教え方をしてくれる先生っていない。。。
その言葉を暗記して再現してというのが
現状の”テスト”での点取り主義。
生きていく上で、本当に意味のないものなのではないだろうか。
だから学校の教育はつまらないものが多いのだ
興味すら沸かないものが多いのだと感じてしまうわけである。
事象に対して、何が起こっているか?
どうしてこれが起きたのか?
と突き詰めることは科学でなくても日常でも感じないといけないことなのではないだろうか?
と気づかせてくれる。
ロスアラモスでの研究中に奥さんのアーリーンを長年患っていた結核で亡くすエピソードがある
長年患っていたらしく、いつこの時がくるかを覚悟していた為
次のような記述がある。
この一文はファインマンさんという人をすごく現していると思う。
覚悟していた事実が起こったという現実を自ら封印して
仕事に没頭した。これが起きることはわかっていた。
起きてしまったと。
けれども後から奥さんを想起させる場面で本当に楽しい日々を過ごしたのだなと
本当に大切なものを失ってしまったのだと、
悲しみが嫌いなファインマンさんを感じさせてくれる場面である。
その他に、結構遊ぶのが好きなファインマンさんは女性の口説き方に関しても
世の中では育てられてきた考え方とは全然違った形で物事が動いていくもんだと評している
「”紳士的でない”男性を演じることによって綺麗な女性もついてくる」
な〜んてモテ本ビックリの技を教わり終始使っていた印象を与えてくれる。
ファインマンさんが終始実践していたのでスゴいモテ技なのは間違いなさそうだ(爆)
また、論理的に考えられない現象についてもいろいろ触れている
感覚除去の研究をしている人に自らその実験に研究するなんて一幕もみられる。
そこでの体験を次のように記している。
と幻覚の真理について書いているような、結局は自分の思い込みで
幽体離脱なんていう思い込みも人によっては容易にできてしまうのだな
(実は誰でも簡単に幽体離脱なんてできてしまうんじゃない?)
”音楽”に対してもそうだし、”絵”に対してもそう
この人の好奇心、そして行動は素晴らしいなと本当に思う。
音楽に関して言えばドラムを一流の奏者並に叩いてしまうし
絵に関して言えば人から売って欲しいといわれるレベルなのである。
最初からこれは無理と諦めるのでなく
実際にやってみればおもしろいし、もしかしたらすごく楽しいことに
つながるなんて可能性を持っているかもしれないと
まずはやってみる。ということが大切であるということを体現してくれている。
絵をやることで美術館でこの絵は良くないなぁと
論理的ではない感情を自らも理解することもできるわけで不思議である
と解釈しているエピソードも非常に面白い(このあたりも読んでみてください。)
ノーベル賞の発端はグラグラする皿を見て遊び半分にやり始めた計算だったりする。
些細なことかもしれないけれど、様々なことに好奇心を持ってやってみるということが
大切なのだ。これは年齢も経験も実は関係なく、飽くなき好奇心を持つことの大切さを教えてくれる。
”失敗”と思われたこともきちんと残すことが大切で
どうしてそれが”失敗”とジャッジできるようになったかということを
しっかりと見極める必要がある再現できるかを残す必要がある
自分で”失敗”と決めているだけでもっと意義のあることもあるかもしれないからだ。
最後のカリフォルニア工科大学卒業式式辞を引用しよう。
その、好奇心とユーモアで満ち溢れた人生。
ファインマン先生はさぞや楽しい人生を送られたことだろう。
物事の本質に迫ることの大切さ
かつ、この人生というのは楽しくあるべきだと教えてくれる本。
うだうだと書いてしまったが、実際にこの、うだうだは
不要なものであって、あなたの感じるままにこの本を楽しめばいいと思う。
自分の目で、皮膚で感じないと、この読書という旅に出られないからである。
科学者を目指す人はもちろん
うだうだつまらない人生を生きていると感じてしまっている人は
間違いなく読むべき本ではないだろうか。
「こんな素敵な本に出会える」
そういう積み重ねが読書意欲を駆り立ててくれるのだろうな。
肩の力を抜いて、日々を楽しもうではないか。


ご冗談でしょう、ファインマンさん
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【後記】
555冊まではまだまだ遠いですがなんかきりのいい数字だった
そして300から400という道のりは色々険しい道のりでした。
しかしながら、本という世界にはまだまだ
知らないことが山のように埋れていて
そこから現実の世界に適用できることというのはあまりに多い
気がしてなりません。
これからも僕の傍らには本というものが尽きないでしょう。
ってことでまだまだまだまだ続くわけです。

enjoy!
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<上巻>
ふるさとファー・ロッカウェイからMITまで
プリンストン時代
ファインマンと原爆と軍隊
コーネルからキャルテクへブラジルの香りをこめて
<下巻>
コーネルからキャルテクへブラジルの香りをこめて(続)
ある物理学者の世界
【書感】
ネタに満ち溢れる
それは、テレビでお笑いなんかで味わう楽しさとは異なり
日常のユーモアさからくる楽しさ
そんな楽しさを本書の主人公リチャード・P・ファインマンが贈ってくれる。
ファインマンさんといえば物理学でノーベル賞を取っているわけだが(詳細は wikipedia参照)
本書に関して言えば物理学オンリーではない。
興味深かったことを紐解いていこうと思う。
様々な日常体験
ファインマンさんの日常がつまっている。幼年期祖母のホテルのお手伝いでの様々な実験
MIT(マサチューセッツ工科大学)での日々、原子爆弾開発プロジェクトのためのロスアラモス国立研究所での研究
コーネル大学教授時代のブラジル滞在、カリフォルニア工科大学教授・・・などなど
まぁ、これだけ聞いても様々な体験をしているわけ。
若者はすべからく広い世界に出て外を見ることだ。事物の多様性を知ることは大切なことだから
という言葉が現しているとおり、好奇心を持って何事もチャレンジしていく精神は
本書全体からみられるのですが、その好奇心は見習うべきものが多い。
ブラジルで”科学”について講演した際、当時のブラジル(ブラジルに限らずほとんどの国)に
『自然をじかに経験する』ということが大切であるということを証明している
たまたま引いた教科書の「摩擦ルミネセンス」という用語を説明するエピソードがある。
「「摩擦ルミネセンス」。摩擦ルミネセンスとは、結晶体が潰されたときに発する光である。」
「さてここに科学があると思いますか?とんでもない。これはその言葉の意味をまた別な言葉で言い換えただけのことです。自然の性質についてはこれっぽっちも触れていません。潰したとき光を発するのはどのような結晶体か?なぜ光を発するのか?この箇所を読んだ学生は、家に帰ってこれを実際にやってみるでしょうか?できるわけがないでしょう。」
「だがもし暗い所で砂糖のかたまりをペンチで潰してみれば、青い光が見えるはずだ。それ以外の結晶体でも、このように光を発するものがあるが、なぜそれが起こるかは不明である。この現象は摩擦ルミネセンスと呼ばれている」と書いてあれば、誰でも家に帰って試してみることができるはずです。それでこそ初めて自然をじかに体験することができるというものです。」
こういう教え方をしてくれる先生っていない。。。
その言葉を暗記して再現してというのが
現状の”テスト”での点取り主義。
生きていく上で、本当に意味のないものなのではないだろうか。
だから学校の教育はつまらないものが多いのだ
興味すら沸かないものが多いのだと感じてしまうわけである。
事象に対して、何が起こっているか?
どうしてこれが起きたのか?
と突き詰めることは科学でなくても日常でも感じないといけないことなのではないだろうか?
と気づかせてくれる。
ファインマンさんなりのユーモア
これは、楽しいエピソードではないが、ロスアラモスでの研究中に奥さんのアーリーンを長年患っていた結核で亡くすエピソードがある
長年患っていたらしく、いつこの時がくるかを覚悟していた為
次のような記述がある。
僕は明らかに心理的に自分の感情をコントロールしていたのに違いない。アーリーンの体に生理的にどういうことが起きたのか、という事実の方が僕の頭を占領していたので、そのときは涙も出てこなかった。ほんとうに涙がこぼれたのは、何カ月も経ってからのことだ。オークリッジのデパートの前を通って、ふとショーウィンドウの中のドレスを見つけ、ああアーリーンの好きそうな服だなと思った瞬間だった、悲しみの波が一挙に押しよせてきたのは。
この一文はファインマンさんという人をすごく現していると思う。
覚悟していた事実が起こったという現実を自ら封印して
仕事に没頭した。これが起きることはわかっていた。
起きてしまったと。
けれども後から奥さんを想起させる場面で本当に楽しい日々を過ごしたのだなと
本当に大切なものを失ってしまったのだと、
悲しみが嫌いなファインマンさんを感じさせてくれる場面である。
その他に、結構遊ぶのが好きなファインマンさんは女性の口説き方に関しても
世の中では育てられてきた考え方とは全然違った形で物事が動いていくもんだと評している
「”紳士的でない”男性を演じることによって綺麗な女性もついてくる」
な〜んてモテ本ビックリの技を教わり終始使っていた印象を与えてくれる。
ファインマンさんが終始実践していたのでスゴいモテ技なのは間違いなさそうだ(爆)
また、論理的に考えられない現象についてもいろいろ触れている
感覚除去の研究をしている人に自らその実験に研究するなんて一幕もみられる。
そこでの体験を次のように記している。
僕は突然はっとした。脳の中の記憶貯蔵のしくみなど、実は何ひとつわかっていないのに気がついたのだ。わかったと思っていたのは、ただ幻覚の中でそのしくみがわかったと思っただけに過ぎないのだ!僕が「発見」したことと、実際に人間の脳の中に記憶が貯蔵されるしくみの現実とは、全然何の関係もない、ただ僕が自分で自分を幻覚のゲームに引っぱり込んで、その状態で発見したと感じただけのことなのだ。
と幻覚の真理について書いているような、結局は自分の思い込みで
幽体離脱なんていう思い込みも人によっては容易にできてしまうのだな
(実は誰でも簡単に幽体離脱なんてできてしまうんじゃない?)
好奇心、そこには失敗はない
ファインマンさん自身の”音楽”に対してもそうだし、”絵”に対してもそう
この人の好奇心、そして行動は素晴らしいなと本当に思う。
音楽に関して言えばドラムを一流の奏者並に叩いてしまうし
絵に関して言えば人から売って欲しいといわれるレベルなのである。
最初からこれは無理と諦めるのでなく
実際にやってみればおもしろいし、もしかしたらすごく楽しいことに
つながるなんて可能性を持っているかもしれないと
まずはやってみる。ということが大切であるということを体現してくれている。
絵をやることで美術館でこの絵は良くないなぁと
論理的ではない感情を自らも理解することもできるわけで不思議である
と解釈しているエピソードも非常に面白い(このあたりも読んでみてください。)
ノーベル賞の発端はグラグラする皿を見て遊び半分にやり始めた計算だったりする。
些細なことかもしれないけれど、様々なことに好奇心を持ってやってみるということが
大切なのだ。これは年齢も経験も実は関係なく、飽くなき好奇心を持つことの大切さを教えてくれる。
”失敗”と思われたこともきちんと残すことが大切で
どうしてそれが”失敗”とジャッジできるようになったかということを
しっかりと見極める必要がある再現できるかを残す必要がある
自分で”失敗”と決めているだけでもっと意義のあることもあるかもしれないからだ。
最後のカリフォルニア工科大学卒業式式辞を引用しよう。
人を教育するというのに、科学的良心をもって実験することを教えるより、ある結果を得る方法だけを教えるなどという方針を決めてかかるのは、非常に危険なこととしか言いようがありません。
ですから私が今日卒業生諸君へのはなむけとしたいことはただ一つ、今述べたような科学的良心を維持することができるようにということです。つまり研究所や大学内で研究費だの地位などを保っていくために、心ならずもこの良心を捨てざるをえないような圧力を感じることなく、自由に生きてゆけるような好運を、との一念に尽きます。願わくば諸君がそのような意味で、自由であれかしと心から祈るものです。
その、好奇心とユーモアで満ち溢れた人生。
ファインマン先生はさぞや楽しい人生を送られたことだろう。
物事の本質に迫ることの大切さ
かつ、この人生というのは楽しくあるべきだと教えてくれる本。
うだうだと書いてしまったが、実際にこの、うだうだは
不要なものであって、あなたの感じるままにこの本を楽しめばいいと思う。
自分の目で、皮膚で感じないと、この読書という旅に出られないからである。
科学者を目指す人はもちろん
うだうだつまらない人生を生きていると感じてしまっている人は
間違いなく読むべき本ではないだろうか。
「こんな素敵な本に出会える」
そういう積み重ねが読書意欲を駆り立ててくれるのだろうな。
肩の力を抜いて、日々を楽しもうではないか。


ご冗談でしょう、ファインマンさん
[詳細はAmazonで⇒

【後記】
555冊まではまだまだ遠いですがなんかきりのいい数字だった
そして300から400という道のりは色々険しい道のりでした。
しかしながら、本という世界にはまだまだ
知らないことが山のように埋れていて
そこから現実の世界に適用できることというのはあまりに多い
気がしてなりません。
これからも僕の傍らには本というものが尽きないでしょう。
ってことでまだまだまだまだ続くわけです。

enjoy!
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コメント一覧
1. Posted by よしぞう 2010年05月11日 12:18
ファインマン大好き。
取り上げてくれてありがとう〜
取り上げてくれてありがとう〜
2. Posted by hiro 2010年05月14日 23:39
>よしぞうさん
この本は読んでおかないと人生損する一冊に間違いなさそうです。
ファインマン物理学をもっと早く知っていれば
自分の人生も若干変わったかもしれません。
まぁ今出会えてよかったですが。
この本は読んでおかないと人生損する一冊に間違いなさそうです。
ファインマン物理学をもっと早く知っていれば
自分の人生も若干変わったかもしれません。
まぁ今出会えてよかったですが。
3. Posted by Tou-oh-lys-garly 2010年10月20日 11:27
『ご冗談でしょう、ファインマンさん』読みました。
僕は科学者のはしくれでしたが、この本を読んで本当に世界が変わった、と思います。
子供の頃にもっていた科学の楽しみ方、それを思い出させてくれた本でした。
ご紹介ありがとうございました。
僕は科学者のはしくれでしたが、この本を読んで本当に世界が変わった、と思います。
子供の頃にもっていた科学の楽しみ方、それを思い出させてくれた本でした。
ご紹介ありがとうございました。
4. Posted by hiro 2010年10月26日 00:49
>Tou-oh-lys-garlyさん
コメントありがとうございます。
物事を探求する楽しみ方を教えてくれる本当に素晴らしい本だと思います。こちらこそ、ちょっとでもお役に立てて光栄です。
ありがとうございます!
コメントありがとうございます。
物事を探求する楽しみ方を教えてくれる本当に素晴らしい本だと思います。こちらこそ、ちょっとでもお役に立てて光栄です。
ありがとうございます!