紙とか電子書籍ではなく、「何か」を読むこと - 447 本は、これから:あなたの人生が勇気に満ち溢れる555冊の多読成功術
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2010年12月02日

というものへの
関わり方への変動の兆しが大きく見えた2010年
iPadの登場やそれに追随するような形で
タブレット端末がでています。

その他にも日本ではあまり普及していないのかな
と思われるAmazonのkindleだってどんどん進化を遂げて
気づいたらkindle3なんてバージョンになっているわけです。

さて、今回の本は
本は、これから (岩波新書) ,池澤 夏樹,4004312809


本は、これから (岩波新書)

池澤 夏樹

[詳細はAmazonで⇒]


吉野朔実、池内了、池上彰、石川直樹、今福龍太、岩楯幸雄、
上野千鶴子、内田樹、岡崎乾二郎、長田弘、桂川潤、
菊地成孔、紀田順一郎、五味太郎、最相葉月、四釜裕子、
柴野京子、鈴木敏夫、外岡秀俊、田口久美子、土屋俊、
出久根達郎、常世田良、永井伸和、長尾真、中野三敏、
成毛眞、南陀楼綾繁、西垣通、荻野正昭、長谷川一、
幅孝、原研哉、福原義春、松岡正剛、宮下志郎

といった著名な方や読み手の達人までと
いろいろな方達が電子書籍がより身近になった今と
これからの本について語っています。

さてさて、僕たちはどうやって本とこれから付き合っていけばいいものでしょうか?





【目次】
電子書籍時代(吉野朔実)
本の棲み分け(池内了)
発展する国の見分け方(池上彰)
歩き続けるための読書(石川直樹)
本を還すための砂漠(今福龍太)
本屋をめざす若者へ(岩楯幸雄)
書物という伝統工芸品(上野千鶴子)
活字中毒患者は電子書籍で本を読むか?(内田樹)
生きられた(自然としての)「本」(岡崎乾二郎)
本を読む。ゆっくり読む。(長田弘)〔ほか〕


【書感】

の本も電子書籍も好きに使えばいい

これが僕が本書を読んで思った結論だ。

何がそれをあおっているのか、
それはどうしたら生き残るか
個として本の付き合い方といった視点で紐解いていきたい。

◆本がなくなるわけではない。なくなるのは・・・

電子書籍分野が拓けてきた。
これは読み手にとって選択肢が増えるとてもいいことではないだろうか?

松岡正剛氏は次のように書いている。
最近、世間ではKindleやiPadなどの電子書籍端末の登場で、書物離れがおこるのではないかという心配が右往左往している。しかしながらこれは、読書そのものにひそむ本来の動向や読書に伴う何かの動向を無視した騒ぎだと言うしかない。メディアやデバイスが変わったからといって、読書行為に伴う何かはめったなことで失われはしないし、音読が黙読に代わっても読書は相変わらず読書としてずっと維持されていったように、iPadによって黙読が触読に進んだだけのことなのだ。
大昔にたどれば読書という行為自体だって今の紙ではなく
石版だったりパピルスだったり媒体は変わってきているわけである。

むしろ読むという行為は”紙の本”に縛られず、ネットだったり、メールだったりと
なくなっていないわけである。
にも関わらず、著作権が不安だ、紙の本が売れなくなると言っているのは誰だろうか・・・

鈴木敏夫氏はジブリという映画業界に関わっている
映画業界もYoutubeなどに違法にアップされたりしたらとんでもない被害を受ける
ただ、ネットもうまく使えば宣伝にはなるわけで真摯に付き合っていかなければいけないという見解をされている。

その鈴木氏曰く
出版界には不安が渦巻いている。技術の進歩によって、今まで成り立っていた商売が立ちいかなくなるかもしれないという恐れを抱いている。そして、心のどこかで読者は本来、本を紙で読みたいと思っているはずだろうと期待しているように見える。
 電子書籍は出版社にとって黒船到来だというが、”いつでも、どこでも、誰でも”複製された情報を手にできるようにする道は、グーテンベルクが活版印刷を発明した時から拓かれていた。しかし、その技術が果たして必要だったのかどうか、誰に分かるのだろう?
 電子化によって商売が成り立たなくなる人が出てくるのは、何も出版に限ったことではない。音楽は一足早くその洗礼を浴びたし、映画にとっても他人事ではない。しかし、読者がどのように本と向き合うかは、本質的に変わらないはずだ。
 忘れてはいけない。すでに大衆消費は極まったのだ。そのことで市場や商売がどうなるかということと、人が本とどのように付き合っていくかは、そもそも別問題であるにも関わらず、一緒くたにされているから、よくない。少なくとも僕にとって、出版業界がどうなろうと、本との付き合い方は変わらない。
そう、ここで電子書籍の付き合い方が全て書かれているような気がしてしまう。
デバイスが変わろうが、「本」というものは存在し続けるのだ。

出版社は紙の本が売れなくなってくるのもこれも当然の形だと考えられる。
ただ、紙から電子に変わろうが我々の「本」との付き合い方を変える必要はない。

読者は紙のままだろうが、電子化だろうが関係ないのだ
惑わされる必要はないのだ、自分で自分の好きなように、
「本」を読んで世界を味わえばいいのだ。

◆必要なワザはどうしても必要だ

出版社にさらにダメ押しをするような形になるかもしれないが
南陀楼綾繁氏が次のように書いている。
iPadやKindleなどの電子書籍リーダーの登場で、このところ、紙の本がどうなるかという論議が起こっている。紙の本が消えるといった予測は、これまでもいろんな人がしてきたが、そのことにあまり興味はない。子どものときから電子書籍だけで本を読む習慣をつけた読者が主流になるまでには、まだ数十年はかかるだろう。そのことよりも、電子書籍によって、これまで出版業界であたり前とされてきた、委託制や再販制をはじめとする慣習を見直す機会が生まれるのではないかという期待をもつ。
出版社がピンチになっているのは
重々分かっていると思うが、出版社全てが不要というとそんなことはないわけで。
必要となってくる技術はあるわけ例えば「装丁」といった力。

桂川潤氏は「装丁」(binding)の視点で次のように書いている。
「テクストのみ」の電子ブックが主流となる。対して「物である本」は、テクストのみならず、豊かなコンテクストを伴う点が特徴だ。
 装丁という仕事は、要はテクストに、「身体性(物質性)」というテクストを与える仕事と言っていい。装丁のみならず、編集や書籍販売といった本に関わる仕事も、突き詰めれば、テクストにコンテクストを付与する作業と言えるのではないだろうか。
桂川氏の見解だと「物である本」に対しての装丁を仰っているが、電子書籍のテクストにだって装丁という力を与えることは十分可能ではないかと考える。
むしろ、電子書籍の世界だからこそ、輝ける人たちがあらわれるのかもしれない。

電子書籍による出版が簡易化されればクソ本ばかりが溢れかえるだろうから
そういう時には「編集」という技術だって当然必要になってくるわけである。

本を売る側の書店だって本の電子化によって大打撃を受けるだろう
成毛眞氏は書籍はほとんどネット書店(主にAmazon)で購入されている。
なぜかというと買う量がハンパない量なのでとても持って買えれないからだ。

Amazonを使う理由は配送料が無料、配送が非常に速いこととほぼリアル書店と変わらない。
ただし、本の検索としてのAmazonは酷評している。不要なマンガやDVDがひっかかるからだそうだ。
そこでウィンドウショッピング変わりに紀伊国屋ブックウェブで本を
ただ発注時の配達日がわからないので紀伊国屋ブックウェブでは買わないそうだ。

こういうところで日本の書店は顧客のニーズを研究していなく機会損失している。
それぞれ人物の電子書籍に関する行動を推定してみよう。自分の場合は書棚に収納したい書籍以外は、電子的に大量購入する可能性が高い。読みすてることの多い売れ筋の経済学書はKindleで欲しい。カラーの観光案内やMOOKはiPadで欲しい。バラエティ番組に出ている話題の評論家の本は10円だったら見てみたい。
 娘は貿易マニュアルなどが電子化されると無条件に買うであろう。話題の小説も電子書籍なら読んでみるかもしれない。女性のバックは意外にも重いのだ。iPhone以外ではKindleの重量で限界であろう。転勤や結婚などを考えると蔵書は最低限の分量が良いはずだ。母はテレビのデジタル化でもはや手いっぱいだ。枕草子や百人一首などを大声で読み上げてくれる端末機器でもあれば、電子化するかもしれない。
つまりこのように市場を推定することが重要であると成毛氏は仰っている。どんな年代の人が多いか、どんな職種の人が多いかとマーケティングがしっかりできる書店はきっと電子化が進んでも
生き延びていくだろう。紙の本じゃないと嫌だという人々が生き続ける限りは。

再度、登場の鈴木氏の言葉になるが
もしこの時代に自分が学生だったら、出版社に入りたいと思う。だって、今なら何でもできそうだから。絶好調の業界に入っても面白くないでしょう、きっと。
散々出版社ヤバイじゃんといっているわけだが、ヤバい状況下だからこそ、考えれば生き残れる方法もたくさんある逆にチャレンジングな世界に化ける可能性は大である。

◆君の読書を、私の読書を

個人的に響いた本と個の結びつきについて、松岡正剛氏の言葉を引用したい。
読書は永遠だなどと気楽なことを言っているのではない。ウンベルト・エーコが、いったん生まれた言語は完全言語探求をするべく言語多様性をあくなく続行していくと言ったように、読書世界はその本質ゆえにさらに多様な「読む森林」や「見る河川」を自身の内外に拡張していくはずなのだ。そこにはビジネスモデルの変更や革新もあろうけれど、それとともに、人類の読むことに関する全歴史の回顧と展望が折りたたまれているはずなのである。
読書というものを糧に自分の内外を拡張していく。
これは僕も目指している境地ではある。もうちょっと松岡正剛氏風にいうと

読前・読中・読後におこる何かをできるだけ捨てないということだ。その何かとともに本に付き合うということだ。

読後は意識できても読前・読中なんてことは忘れがちである。
(この楽しみ方には僕はまだまだ至っていないな・・・)

こう考えると僕の下した結論「紙の本も電子書籍も好きに使えばいい」というのはやはり僕の目指す指針としては間違っていない。

ただ、中には、本は紙でないとという意見もあった。
それは、その人が生きた、生きてきた時代は本といえば紙という概念からという意見もあるからだ
それを否定することはできないし、する必要もない。

ただ、せっかくこういった変革の時代に生きているのであれば
自分の世界を楽しむためにも、人生を楽しむためにも
本を糧にするという意味でも
「紙の本も電子書籍も好きに使えばいい」がいいのかなと思う。

本は、これから (岩波新書) ,池澤 夏樹,4004312809


本は、これから (岩波新書)

池澤 夏樹

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【後記】

今回紹介した方々はほとんどの方がkindle、iPadを所持しておられました。
kindleの物欲レベルが大幅に上昇してしまいました・・・

この衝動は抑えられるのでしょうか・・・

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