2009年11月05日
Nirvanaと聴くと
どうしてもカートコバーン率いるグランジバンドを思い返してしまうのですが
そもそもNirvanaとは絶対幸福とかさとりとかいう意味。
今回の本は
ニルヴァーナのプロセスとテクニック
ダンテス ダイジ
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]
苫米地英人さんの本を読んでいて
たどり着いた一冊であります。
本書の内容、世界観が良くわからない人には
向かないないようとなっているので
予め、覚悟が無い方は読むのを辞めてください。
まじで。
どうしてもカートコバーン率いるグランジバンドを思い返してしまうのですが
そもそもNirvanaとは絶対幸福とかさとりとかいう意味。
今回の本は

ダンテス ダイジ
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苫米地英人さんの本を読んでいて
たどり着いた一冊であります。
本書の内容、世界観が良くわからない人には
向かないないようとなっているので
予め、覚悟が無い方は読むのを辞めてください。
まじで。
【目次】
【書感】
本書は
瞑想について書かれた本である。
瞑想というか
心の在りかを見つけるための手法なのかもしれないが
マントラ禅
丹田禅
クンダリニー・ヨーガ
只管打坐
について手法が非常に事細かに書かれている
僕自身、冗談半分でクンダリニーヨーガを試してみたのだが
逝った。
そこには、
迷いもない
苦もない
生きている意味なんて考える悩みもない
光もない
欲望もわかない
会社員しているなんてどうでもいい
とあらゆる煩悩というか
邪な心、優しい心
全てがどうでもよくなった何かの世界があった。
その世界は絶望でもなければ、希望でもない
本当に無というか
自分という存在がいたことすら忘れてしまうくらいの
何かがみえた。
ふっと我に返り、瞑想から覚醒すると
3時間以上も経っていた。
と、そんな空間を味わってしまう
非常に恐ろしいのか、楽しいのか、何かを残すような
経験をしたわけだ。
で、この本は色々な意味で
ヤバイとちと悟ったわけなのだけれども
Nirvanaって悟りという意味も含んでいるのだと
思い返した。
そして、理解すれば何か得られるんじゃないかな
と、再び、僕はこの本を手に取っているわけなのだが
瞑想の方法はあんまり無闇やたらにやると不味いので
ここには記載しないが
この著者であるダンテス ダイジという人が書かれた
文章には何か温かみがあったので
そこは伝えておこうと思う。
結構的を射ている。
欲がない、といいつつも人というものは
生きている限り、どこかしらで「欲望」というものがある。
だからこそ、傷つくし、葛藤するし、悩むし、苦しむし、自殺しよう
なんて考えすらも想起させてしまう。
でも、死なんてことではそれは理解できない。
本書では死ということは闇ととらえらているが
死というのは実は光なんて
さて、人によってはカオスな空間になってしまったが
ダンテス ダイジは37歳という年齢で
還化したと書かれていた。
Nirvanaというものを得るためには
肉体をはやくに捨てるというものが正解
だとは僕はとても思えないし、思いたくもない。
ただ、苦悩も、悩みも、苦しみも
大体が自分自身で作ってしまっているというのも
実は真理なのかもしれない。
自分というものは自我が唯一の自分ではなく
一つの永遠という中の
人間という細胞の一つに過ぎないのかもしれない。
問題なんていうものは実はなく
その欲望にだけ囚われるから
問題が発生するのだなとも感じられる。
さて、どうでもいい記事になってしまった
予感もするが。
そんなことはどうでもいいのかもしれない。
些細なことに捕らわれず、
たまには無限の彼方を読むことをしてもいいのではないかな。
ニルヴァーナのプロセスとテクニック
ダンテス ダイジ
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【後記】
苫米地さん曰く
「(オウム真理教の)一連のヨガ教義と洗脳の橋渡しのタネ本」
ということだったのだが
なんとなくその意味がわかった気がする。
本書はいろんな意味で救いにも使えるし
いろんな意味で悪意にも使えるからだ。
何か読んでいてエヴァンゲリオンの人類補完計画を思い出した。
すべての人はあたし、あたしはあなた
あなたはあたし、あたしはあたし

今日もお付き合いいただきありがとうございました。
Presented by hiro
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マントラ禅
丹田禅
クンダリニー・ヨーガ
只管打坐
【書感】
本書は
瞑想について書かれた本である。
瞑想というか
心の在りかを見つけるための手法なのかもしれないが
マントラ禅
丹田禅
クンダリニー・ヨーガ
只管打坐
について手法が非常に事細かに書かれている
僕自身、冗談半分でクンダリニーヨーガを試してみたのだが
逝った。
そこには、
迷いもない
苦もない
生きている意味なんて考える悩みもない
光もない
欲望もわかない
会社員しているなんてどうでもいい
とあらゆる煩悩というか
邪な心、優しい心
全てがどうでもよくなった何かの世界があった。
その世界は絶望でもなければ、希望でもない
本当に無というか
自分という存在がいたことすら忘れてしまうくらいの
何かがみえた。
ふっと我に返り、瞑想から覚醒すると
3時間以上も経っていた。
と、そんな空間を味わってしまう
非常に恐ろしいのか、楽しいのか、何かを残すような
経験をしたわけだ。
で、この本は色々な意味で
ヤバイとちと悟ったわけなのだけれども
Nirvanaって悟りという意味も含んでいるのだと
思い返した。
そして、理解すれば何か得られるんじゃないかな
と、再び、僕はこの本を手に取っているわけなのだが
瞑想の方法はあんまり無闇やたらにやると不味いので
ここには記載しないが
この著者であるダンテス ダイジという人が書かれた
文章には何か温かみがあったので
そこは伝えておこうと思う。
人間は、何故、深刻になるのであろうか。
人間は、何故、退屈するのであろうか。
人間は、何故、苦しみ多き人生を送るのであろうか。
もし、あなたが今、苦しみも苦痛も苦悩も全く感じないで、
そして、毎日が楽しく、何一つ問題がないのであると、
本当に心の底から思えるのであれば、何も問題はない。
<中略>
心の底では、常に飢え、渇き、そして確信を持たず、納得するものを持たず、
求め、喘いでいる存在ではないのか。それが単純に言えば、欲望の性質なのである。
その欲望は、決して本当の満足に出会うことはない。
それでいて、決して素晴しい人生でもないこの人生を、人間は妥協して何とか生きようとして頑張り、
死ぬことを死ぬほど恐れている。
結構的を射ている。
欲がない、といいつつも人というものは
生きている限り、どこかしらで「欲望」というものがある。
だからこそ、傷つくし、葛藤するし、悩むし、苦しむし、自殺しよう
なんて考えすらも想起させてしまう。
でも、死なんてことではそれは理解できない。
本書では死ということは闇ととらえらているが
死というのは実は光なんて
絶対
完全
至福
自由
・・
なるこれと一つであったことを知って
私は、こう断言することができる。
あらゆる個生命達は
これを求めて旅しているのだ。
至福に至るメカニズムは
もう、出尽くした。
そこで、君達は君達なりに生きているだけだ。
君が意識をはっきりさせたまま
人生を終える時には
君は知るだろう
何もかもがいいということを。
さて、人によってはカオスな空間になってしまったが
永遠
永遠とは、時間ではない
時間を忘越した時である
そこにはもう空間もない
物もない
すべてが「如」だけになって
それが私達に永遠を語りかける
この「如」の甚深微妙
古人はその横顔を見て
これを神と言った
ダンテス ダイジは37歳という年齢で
還化したと書かれていた。
Nirvanaというものを得るためには
肉体をはやくに捨てるというものが正解
だとは僕はとても思えないし、思いたくもない。
ただ、苦悩も、悩みも、苦しみも
大体が自分自身で作ってしまっているというのも
実は真理なのかもしれない。
自分というものは自我が唯一の自分ではなく
一つの永遠という中の
人間という細胞の一つに過ぎないのかもしれない。
問題なんていうものは実はなく
その欲望にだけ囚われるから
問題が発生するのだなとも感じられる。
さて、どうでもいい記事になってしまった
予感もするが。
そんなことはどうでもいいのかもしれない。
些細なことに捕らわれず、
たまには無限の彼方を読むことをしてもいいのではないかな。

ダンテス ダイジ
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【後記】
苫米地さん曰く
「(オウム真理教の)一連のヨガ教義と洗脳の橋渡しのタネ本」
ということだったのだが
なんとなくその意味がわかった気がする。
本書はいろんな意味で救いにも使えるし
いろんな意味で悪意にも使えるからだ。
何か読んでいてエヴァンゲリオンの人類補完計画を思い出した。
すべての人はあたし、あたしはあなた
あなたはあたし、あたしはあたし

今日もお付き合いいただきありがとうございました。
Presented by hiro
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