2011年01月11日
選ぶこと
あなたの生活の中に
「選択する」ということはどれくらい潜んでいるだろうか?
今回の本

選択の科学
シーナ・アイエンガー、櫻井 祐子
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本書の著者はコロンビア大学ビジネススクールで教鞭をとる
盲目の教師である。
生きているという「選択」をしている我々に
何を教えてくれるのでしょうか。
あなたの生活の中に
「選択する」ということはどれくらい潜んでいるだろうか?
今回の本

選択の科学
シーナ・アイエンガー、櫻井 祐子
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本書の著者はコロンビア大学ビジネススクールで教鞭をとる
盲目の教師である。
生きているという「選択」をしている我々に
何を教えてくれるのでしょうか。
【目次】
【書感】
選択をせずに生きていない人間というのはいない。
朝目覚ましを止めるという選択をしているわけだし、電車に乗って通勤する
毎日終電まで仕事をするというのも要因はなんであれ「選択」というものをしている筈である。
ではそんな「選択」について本書の中で紹介されていた
5つの視点でで紐解いていこうと思う。
無害だが不快な電気ショックを周期的に与えるという実験をしたそうだ。
電気ショックは同期化されていて両方の犬に与えるわけだが、一方の箱はパネルのどちらかを押せばショックを止められ
一方は止めることのできないというものだ。
止めることのできる箱に入った犬は多少の苛立ちを見せたもののショックを回避する方法を学んだそうだ
逆に止められない方はあきらめ苦痛に耐えるという選択をした。
この学ばせた経験を元に第二フェーズとして二つの部屋に低い壁で仕切られた大きな箱を用意した
最初、犬が入れられる部屋には電流が流れるのだが、低い壁の向こうには回避できる部屋が用意された
最初の実験で回避を覚えた犬は壁を飛び越え回避するのだが、最初の実験で苦痛に耐えるを選択した犬の2/3は飛び越えている犬を見てもただ諦めて、苦痛にじっと耐えることを選択した。
これは自分の無力さを思い知ったため、選択をコントロールできるにも関わらず、
コントロールを取り戻したと認識できなかったということがわかる。
状況をコントロールできるか
コントロールすることができると認識することに意味があるのを教えてくれるわけです。
我々もこういった認識ができるか、できないかで大きく人生というものの過ごし方が変わってしまうのかもしれません。
例えばシンデレラ、シンデレラは邪な継母、醜い継姉に召使いのようにこき使われるが
妖精のおばあさんに助けられ、舞踏会に行き、王子様と踊り、魔法が解ける帰り際に
ガラスの靴を落とし、その後持ち主がシンデレラだと分かり、王子様と結婚し
その後幸せに暮らしました。
と結婚するまでの物語です。
対照的な物語として、インドのムムターズ・マハルとシャー・ジャハーンの物語が紹介されています。
この物語は、強大なムガル帝国皇帝の三番目の妻に選ばれ結婚まで5年待ち結婚した。
物語がはじまるのは二人の人生が一つになってからで、ムムターズ・マハルは夫の帝国各地への旅、軍事遠征につねに同行し、その間に13人の子をもうけた。
宮廷の記録係が二人の愛情あふれる生活を忠実に記録していてこの物語になっている。
その後ムムターズ・マハルは14人目の出産時に亡くなってしまうそうです。
亡くなった伴侶の美しさ、驚くべき人生を十二分に表す証としてタージ・マハルを創ったそうです。
二つの物語から日本における結婚というのはどうしても前述のシンデレラ的が理想とされてしまう。
恋愛して結婚してというのが一般常識的になってしまい
取り決め婚と聞くと旧時代の(ゲゲゲの女房などを見て分かるけれども、昔の日本はそうではなかったけれどね)
イメージで"えぇ〜っ!?"となってしまう。
インドでは取り決め婚が90%を占めているそうだが
だが、結婚を後悔するようなことはあまりないそうだ。
これは前述のムムターズ・マハルとシャー・ジャハーンの物語が象徴しているかもしれない。
どちらがいいかという明確な正解は無いにしても
結婚に関しては「選択」よりも後の「義務」をどうするかに
その後はかかっているということです。
だから結婚がゴールというのは限りなく間違いでスタートだ
と認識するほうが良いかも知れないですね。

この画像を見てどう感じただろうか?
これは、心理学者のリチャード・ニスベットと増田貴彦によって
アメリカ人、日本人を対象に試した実験だそうだ。
この結果、アメリカ人は3匹の魚
日本人は情景に着目した。
更に微妙な変化を与えた画像を見た際
アメリカ人は魚の変化に気づいたが情景の変化には気づかず
日本人は情景の変化に気づいたが魚の変化に気づかなかった。
また著者が日本滞在中に行った実験では
来日からまだ1月ほどの学生と日本人学生とで
日常生活上どれだけ選択をしているかリストアップするということをテストを行った。
著者は来日期間が短い為、アメリカ人の方が少ないと予想したのだが
結果はアメリカ人と日本人を比べた時、アメリカ人は選択の数は日本人の1.5倍もあったそうだ。
アメリカ人にあって、日本人になかったものは
歯を磨いたりとか目覚ましのアラームを止める
と些細なことであったが、その些細なことすらも自分が下した選択と受け止めているのだ。
これは「個人」を大切にする環境のアメリカ「集団」を大切にする環境でそだった日本との大きな違いである。
どちらが良いかというのは一言では難しいし
それを選択するのもあなた次第になってくるわけだが、
せっかくこの人生という時間がある以上、
選択できる状況下(それを選択できる状況と認識する意識が大切だが)のことは
自分で責任持って選択していきたいと思わないだろうか。
その自分に合った選択を行うというのは至難の業。
じゃあどうすればいいかというと次のことが、その手助けをしてくれるのではないだろうか。
今が嫌であったら、もっと多くの選択をして積み上げればいい。
想像上の自分にすがるのではなく、「今」を見つめ、選択をしていけばいい。
著者は豊富な品ぞろえでお客に娯楽体験をさせるというドレーガーズというお店で
試食コーナーを設けてジャムを使った実検をした。
イギリス女王御用達のジャム、ウィルキン&サンズの28種類のジャムから
イチゴ、ラズベリー、ブドウ、オレンジ・マーマレードの一般的な4種を外した
24種類を取り揃えたパターンと
キウイ、ピーチ、ブラックチェリー、レモンカード、レッドカラント、スリーフルーツ
マーマレードの6種類に絞ったパターンで顧客はどちらを選ぶかという実験。
助手に買い物客をカウントさせたところ
24種の時は買い物客の60%が試食に立ち寄ったが、6種の時は40%しか訪れなかった。

※上が24種、下が6種
また、試食コーナーではジャムを販売していなかったので
ジャム売り場で選んで購入するということも必要だった。
実験の結果6種類の試食に立ち寄った客のうち、ジャムを購入したのは30%に対し
24種揃えた方は3%だったそうだ。
6種の時も、24種の時も客が試食したのは2種ほどで
24種の場合だとお客が戸惑ってしまい結局購入に至らなかったという結果だったそうだ。
このジャムを選択することと同様に、「あなたのやるべきこと」
というのも実は溢れてしまっているのではないだろうか?
選択と集中なんていうがいっそのこと
選択肢を絞って、捨ててみることが大切なのかもしれない。
人間そんなに器用じゃないし。
だったら選択肢があるのであれば、使わない手は無い。
「選択」を用いる中で苦しいこと、辛いことがあるかもしれないけれど
その選択を突き進むことによって、助けられるという「選択」が起こるかもしれない。
より良い世界を歩むために手を打たない「選択」よりも
どんどん手を打って自分で後悔は無いと「選択」をしていきたいものである。

選択の科学
シーナ・アイエンガー、櫻井 祐子
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【後記】
新年1発目の本を何にしようかな〜
といろいろ読んでいたらこんなにかかってしまった…
こんなペースではイカんですね。
だからといって急ペースにもせず
リズムを刻んでいく「選択」を取りたいと思います〜。
(まぁこんなスローペースじゃ絶対よろしくないですが・・・)
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オリエンテーション 私が「選択」を研究テーマにした理由
第1講 選択は本能である
第2講 集団のためか、個人のためか
第3講 「強制」された選択
第4講 選択を左右するもの
第5講 選択は創られる
第6講 豊富な選択肢は必ずしも利益にならない
第7講 選択の代償
最終講 選択と偶然と運命の三元連立方程式
【書感】
選択をせずに生きていない人間というのはいない。
朝目覚ましを止めるという選択をしているわけだし、電車に乗って通勤する
毎日終電まで仕事をするというのも要因はなんであれ「選択」というものをしている筈である。
ではそんな「選択」について本書の中で紹介されていた
5つの視点でで紐解いていこうと思う。
自分の位置を認識できているか
1965年にマーティン・セリグマンという人が行った実験では2匹の犬をそれぞれ箱に入れパネルではさみ無害だが不快な電気ショックを周期的に与えるという実験をしたそうだ。
電気ショックは同期化されていて両方の犬に与えるわけだが、一方の箱はパネルのどちらかを押せばショックを止められ
一方は止めることのできないというものだ。
止めることのできる箱に入った犬は多少の苛立ちを見せたもののショックを回避する方法を学んだそうだ
逆に止められない方はあきらめ苦痛に耐えるという選択をした。
この学ばせた経験を元に第二フェーズとして二つの部屋に低い壁で仕切られた大きな箱を用意した
最初、犬が入れられる部屋には電流が流れるのだが、低い壁の向こうには回避できる部屋が用意された
最初の実験で回避を覚えた犬は壁を飛び越え回避するのだが、最初の実験で苦痛に耐えるを選択した犬の2/3は飛び越えている犬を見てもただ諦めて、苦痛にじっと耐えることを選択した。
これは自分の無力さを思い知ったため、選択をコントロールできるにも関わらず、
コントロールを取り戻したと認識できなかったということがわかる。
状況をコントロールできるか
コントロールすることができると認識することに意味があるのを教えてくれるわけです。
我々もこういった認識ができるか、できないかで大きく人生というものの過ごし方が変わってしまうのかもしれません。
結婚という選択
人生の中には「結婚」というのも大きな選択の1つになるでしょう。例えばシンデレラ、シンデレラは邪な継母、醜い継姉に召使いのようにこき使われるが
妖精のおばあさんに助けられ、舞踏会に行き、王子様と踊り、魔法が解ける帰り際に
ガラスの靴を落とし、その後持ち主がシンデレラだと分かり、王子様と結婚し
その後幸せに暮らしました。
と結婚するまでの物語です。
対照的な物語として、インドのムムターズ・マハルとシャー・ジャハーンの物語が紹介されています。
この物語は、強大なムガル帝国皇帝の三番目の妻に選ばれ結婚まで5年待ち結婚した。
物語がはじまるのは二人の人生が一つになってからで、ムムターズ・マハルは夫の帝国各地への旅、軍事遠征につねに同行し、その間に13人の子をもうけた。
宮廷の記録係が二人の愛情あふれる生活を忠実に記録していてこの物語になっている。
その後ムムターズ・マハルは14人目の出産時に亡くなってしまうそうです。
亡くなった伴侶の美しさ、驚くべき人生を十二分に表す証としてタージ・マハルを創ったそうです。
二つの物語から日本における結婚というのはどうしても前述のシンデレラ的が理想とされてしまう。
恋愛して結婚してというのが一般常識的になってしまい
取り決め婚と聞くと旧時代の(ゲゲゲの女房などを見て分かるけれども、昔の日本はそうではなかったけれどね)
イメージで"えぇ〜っ!?"となってしまう。
インドでは取り決め婚が90%を占めているそうだが
だが、結婚を後悔するようなことはあまりないそうだ。
これは前述のムムターズ・マハルとシャー・ジャハーンの物語が象徴しているかもしれない。
どちらがいいかという明確な正解は無いにしても
結婚に関しては「選択」よりも後の「義務」をどうするかに
その後はかかっているということです。
だから結婚がゴールというのは限りなく間違いでスタートだ
と認識するほうが良いかも知れないですね。
選ぶという価値観
次の画像を見て頂きたい。
この画像を見てどう感じただろうか?
これは、心理学者のリチャード・ニスベットと増田貴彦によって
アメリカ人、日本人を対象に試した実験だそうだ。
この結果、アメリカ人は3匹の魚
日本人は情景に着目した。
更に微妙な変化を与えた画像を見た際
アメリカ人は魚の変化に気づいたが情景の変化には気づかず
日本人は情景の変化に気づいたが魚の変化に気づかなかった。
また著者が日本滞在中に行った実験では
来日からまだ1月ほどの学生と日本人学生とで
日常生活上どれだけ選択をしているかリストアップするということをテストを行った。
著者は来日期間が短い為、アメリカ人の方が少ないと予想したのだが
結果はアメリカ人と日本人を比べた時、アメリカ人は選択の数は日本人の1.5倍もあったそうだ。
アメリカ人にあって、日本人になかったものは
歯を磨いたりとか目覚ましのアラームを止める
と些細なことであったが、その些細なことすらも自分が下した選択と受け止めているのだ。
これは「個人」を大切にする環境のアメリカ「集団」を大切にする環境でそだった日本との大きな違いである。
どちらが良いかというのは一言では難しいし
それを選択するのもあなた次第になってくるわけだが、
せっかくこの人生という時間がある以上、
選択できる状況下(それを選択できる状況と認識する意識が大切だが)のことは
自分で責任持って選択していきたいと思わないだろうか。
自己は動的なプロセス
自分探しというのは迷宮に入ってしまった状態に近いわけで、本当の自分を探し、その自分に合った選択を行うというのは至難の業。
「自分はこういう人物だから、これを選択すべきだ」、「これを選択する自分は、こんな人物なのかもしれない」。年を取るにつれて、自分の思う自己像と、他人の目に映る自己像、そして実際に行う選択が、それほど調整しなくてもうまく折り合うようになるのが理想だ。とあるが理想なんてものには中々手が届かない、届きづらいものである。
じゃあどうすればいいかというと次のことが、その手助けをしてくれるのではないだろうか。
「完璧な自己」という彫像を引きずり下ろせば、アイデンティティが静物ではなく、動的なプロセスだということがはっきりするだろう。さまざまな決定を通して彫像を彫り、削ることが、彫刻家なのだ。発想を変えて、選択が流動的なプロセスであることを受け入れれば、選択は、なりたくない自分をたたき壊す破壞の力ではなくなり、わたしたちを解き放つ、継続的な創造活動になるのだ。わたしたちはいま意味をなす選択、いま置かれている社会的状況の中で自分の必要を満たすような選択を行わなくてはならない。わたしたちの選択は、他者の選択といつも結びついている。そして他者の目に映る自分は、内なる想像上の完璧な自分ではなく、これまでとこれからの選択の積み重ねとしての自分なのだ。積み重なったことによって今がある。
今が嫌であったら、もっと多くの選択をして積み上げればいい。
想像上の自分にすがるのではなく、「今」を見つめ、選択をしていけばいい。
選択肢の適切な数
著者が行っている研究で「ジャムの研究」というものがある。著者は豊富な品ぞろえでお客に娯楽体験をさせるというドレーガーズというお店で
試食コーナーを設けてジャムを使った実検をした。
イギリス女王御用達のジャム、ウィルキン&サンズの28種類のジャムから
イチゴ、ラズベリー、ブドウ、オレンジ・マーマレードの一般的な4種を外した
24種類を取り揃えたパターンと
キウイ、ピーチ、ブラックチェリー、レモンカード、レッドカラント、スリーフルーツ
マーマレードの6種類に絞ったパターンで顧客はどちらを選ぶかという実験。
助手に買い物客をカウントさせたところ
24種の時は買い物客の60%が試食に立ち寄ったが、6種の時は40%しか訪れなかった。

※上が24種、下が6種
また、試食コーナーではジャムを販売していなかったので
ジャム売り場で選んで購入するということも必要だった。
実験の結果6種類の試食に立ち寄った客のうち、ジャムを購入したのは30%に対し
24種揃えた方は3%だったそうだ。
6種の時も、24種の時も客が試食したのは2種ほどで
24種の場合だとお客が戸惑ってしまい結局購入に至らなかったという結果だったそうだ。
このジャムを選択することと同様に、「あなたのやるべきこと」
というのも実は溢れてしまっているのではないだろうか?
選択と集中なんていうがいっそのこと
選択肢を絞って、捨ててみることが大切なのかもしれない。
人間そんなに器用じゃないし。
●最後に
選択を研究してきた著者が本書の最後に次の言葉を残している。選択は人生を切りひらく力になる。わたしたちは選択を行い、そして選択自身がわたしたちを形作る。科学の力を借りて巧みに選択を行うこともできるが、それでも選択が本質的に芸術であることに変わりはない。選択の力を最大限に活用するには、その不確実性と矛盾を受け入れなくてはならないのだ。選択は、見る人によってさまざまに様相を変え、だれもがその目的に同意できるとは限らない。ときにわたしたちは選択に引き寄せられ、跳ね返されることもあるだろう。選択はどんなに用いても底をつくことはなく、解明すればするほど、まだまだ秘められた部分があることがわかる。選択の全貌を明らかにすることはできないが、だからこそ選択には力が、神秘が、そして並はずれた美しさが備わっているのだ。わからないことだらけだけれど、神秘的で未知に溢れ、用いても用いても生きている限りなくならない。
だったら選択肢があるのであれば、使わない手は無い。
「選択」を用いる中で苦しいこと、辛いことがあるかもしれないけれど
その選択を突き進むことによって、助けられるという「選択」が起こるかもしれない。
より良い世界を歩むために手を打たない「選択」よりも
どんどん手を打って自分で後悔は無いと「選択」をしていきたいものである。

選択の科学
シーナ・アイエンガー、櫻井 祐子
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【後記】
新年1発目の本を何にしようかな〜
といろいろ読んでいたらこんなにかかってしまった…
こんなペースではイカんですね。
だからといって急ペースにもせず
リズムを刻んでいく「選択」を取りたいと思います〜。
(まぁこんなスローペースじゃ絶対よろしくないですが・・・)
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