あなたにとっての一冊をみつける旅へ - 491 本へのとびら:あなたの人生が勇気に満ち溢れる555冊の多読成功術
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2011年12月27日

年も気づいたら
残り僅かとなっている。
嗚呼嘆かわしい更新頻度というのはご了承いただきたいのだが、そんな2011年の終わり、2012年のはじまりに向けて幾つか読んでおかないといけないなぁと思う本を今回は紹介したい。
本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書) ,宮崎 駿,4004313325


本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書)

宮崎 駿

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著者の説明は不要だろう。
あの独特な宮崎駿の世界が如何に生まれたか、何からアイデアを得ているか、宮崎駿が選んだ岩波少年文庫50冊、そして3/11以降に書かれた大切な本が、一冊あればいいという内容を収録したのが本書だ。





【目次】
1 岩波少年文庫の五〇冊
2 大切な本が、一冊あればいい


【書感】
書は「借りぐらしのアリエッティ」公開と岩波少年文庫60周年のコラボとしてもともと作られたものだったのだが、震災を受けて、新たに追記がされ世にでることになったという本である。

まぁ自分の場合、岩波少年文庫の本は知ってはいるが読んでないのがほとんどという状態なので、今だからこそ読んでおくものはないかなと探しにいく意味で今回はピックアップしていきたい。

■知っているようで知らない名著たち

「借りぐらしのアリエッティ」が生まれたのは原作である「床下の小人たち」があるからであってもちろんこの本も50冊のうちの1冊に厳選されている。
この50冊というのは400冊近い岩波少年文庫の中から宮崎駿によって厳選された50冊で本書ではご丁寧にカラー刷できれいに特集されている、これが本書前半の特徴である。

その50冊に触れていくとサン=テグジュペリの「星の王子様」から始まり
「三銃士」、「不思議の国のアリス」、「トム・ソーヤの冒険」、「西遊記」、「小公子」
と我々の世代だと幼い頃に読み聞かせられた物語がいくつか紹介されていて、懐かしいな、なんて思う反面、子どもに読み聞かせている同世代もいるんだろうななんて思ってしまう。

また、知らないお話ももちろん多くあり、
中でも自分の気になったもの5/50冊を今回は備忘のために記しておくと


日本霊異記 (Amazonではプレミア…)
第九軍団のワシ
聊斎志異
ぼくらはわんぱく5人組
銀のスケート―ハンス・ブリンカーの物語


あたりかなと思う。
中でも、日本霊異記、聊斎志異はもともとは大人な話が中に導入されており、この岩波少年文庫版ではその一部、そもそも本来は莫大な量があるもので艶っぽい表現もあるそうであくまでも岩波版はサワリであり入り口であるとか。

と普段全く触れない児童文学の世界から早速本書は次の本への導きを示してくれるわけです。
岩波少年文庫も手をつけ始めるときりがないような気もしますが…。

■別格!

本書の中で宮崎駿が別格と絶賛している方が2人登場する。
石井桃子中川李枝子の2人である。
前者の石井桃子さんは既に故人だが、
タイトルぐらいは聞いたことはあるだろう「ノンちゃん雲に乗る」の著者。
宮崎駿曰く、自分たちが学生で社会や歴史に対してああだこうだと考えている中、存在が別格で神棚に上げたり訳した本を読まないわけにはいかない。レベルが違うと言わしめる。
「人間としてある」を表現している。別格官幣大社なんて表現をしている。
(というわけでノンちゃん雲に乗るの記憶は大分ないので改めて読んでみることにしようと思う。)

また、中村李枝子さんは「となりのトトロ」のテーマ曲「さんぽ」の作詞や「ぐりとぐら」の著者でもある。著作のなかでも宮崎駿が絶賛しているのが「いやいやえん」という絵本。
中村さんが保母さんの経験をされていたことから、子どもたちが持っている現実と空想の境目がなく、空間にも時間にも束縛されていない、それをそのまま受け止めることのできる著者と言っています。
空間と時間にしばられ、原因と結果ばかりに気をとられて、自我で世界を読み解こうと思っている人間たちは「いやいやえん」の世界にであうと、どうしていいのかわからなくなるとか…。

ということで、「ノンちゃん雲に乗る 」と「いやいやえん―童話 」の2冊は近々読んでみようと思う。

■自分の一冊に出逢って欲しい

この問いかけは簡単なように見えて非常に難しい。
本を読んでいくと良書というのにはたまに巡りあう「一冊だけ」に巡り合うために果たして何冊の本を超えなければいけないことやら…。

宮崎駿は本についても次のような言葉を記している。
本に効き目なんかないんです。振り返ってみたら効き目があったということにすぎない。あのときあの本が、自分にとってはああいう意味があったとか、こういう意味があったとか、何十年も経ってから気がつくんですよ。
 だから、効き目があるから渡す、という発想はやめたほうがいいと思っています。読ませようと思っても、子どもは読みません。親が一生懸命本を読む子どもは読まなかったり、お兄ちゃんが一生懸命読むと妹が読まなかったりね。本を読んでさえいればいいというものでもない。本ばっかり読んでいる子というのは、ある種のさびしさがあるからですよ。外で遊んでいると忙しいですからね。
 ですから、本を読むから考えが深くなる、なんていうことはあまり考えなくてもいんじゃないでしょうか。本を読むと立派になるかというとそんあことはないですからね。読書というのは、どういう効果があるかということではないですから。それよりも、子どものときに、自分にとってやっぱりこれだという、とても大事な一冊に巡りあうことのほうが大切だと思いますね。

と本書ではあくまでも「子ども」に向けて書いてあるが、「大切な一冊」というのは時とともに変わっていってもいい、というか変わっていくものだと思う。
見つかったと思っていても、そういうことだったんだあの本はと2番目に大切な本になる時もあるだろうし、変わらず大切な一冊が残るかもしれない。

自分の一冊に出逢う、本当のところそれができれば苦労しないのだけれども
それができない不器用な人間、圧倒的な冊数の本たちがいるからこそ
本を読むということはやめられない。

だから、僕は別に一冊に縛られずに本の世界を進んでいきたいとも思う。

●最後に

地震、原発問題と大きな爪痕を残してくれた2011年であったが、
宮崎駿は「どうにもならない、これが人間という存在だ」という厳格な判断をする文学と違い、
児童文学は「生まれてきてよかったんだ」を言っている。そして「子供にむかって絶望を説くな」と言っています。

確かに捉え方次第では誰も先がわからない混沌とした時代になってしまったのかもしれません。
しかし、いつの時代も絶望するのは大人の勝手なエゴなのかもしれない。
絶望している暇があるのであれば、自分自身何ができるのか、何をしていけるのかを必死に考えて
無い頭、身体を必死に動かしてみればいいのではないでしょうか。

戦後という混沌とした時代に「やり直し」ができる「再生」を伝えた児童文学というもののように
動ける大人は少しでも「希望」や「夢」を伝えていかなければならないのかなとも思えます。
大きな失敗をしたり、路頭に迷ったら児童文学というものにかえってみて
新たな糧をつくるのもありなのかなと思えます。



本へのとびら――岩波少年文庫を語る (岩波新書) ,宮崎 駿,4004313325


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宮崎 駿

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【後記】

忙しいという名のアウトプットできない病
精進せないかんな〜と思う今日この頃。
終わり良ければすべてよしの2011年にしたいものである。



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