2012年01月25日
10年後である
2022年がどうなっているか?
って唐突に言われても想像しがたいものがある。
ただ、想像もしなかった、2011年東日本大震災をはじめ、原発事故と非常にインパクトのあることが起きたし、それは現在進行形で爪痕を残しているし、今後も巨大な地震が起こりえるだろうし、その他にも世界的な金融危機などなど…。
問題は山積みなわけで本当に今後10年なんてのは神頼みしたくなるほど想像し難い。
今回の本

2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)
神田 昌典
[詳細はAmazonで⇒
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著者の神田昌典氏がちょっとぶっ飛び過ぎじゃないと思うような持論を展開する
非常に考えさせられる本である。
さてさて、今後10年の私たちの指針は見つかるのでしょうか?
2022年がどうなっているか?
って唐突に言われても想像しがたいものがある。
ただ、想像もしなかった、2011年東日本大震災をはじめ、原発事故と非常にインパクトのあることが起きたし、それは現在進行形で爪痕を残しているし、今後も巨大な地震が起こりえるだろうし、その他にも世界的な金融危機などなど…。
問題は山積みなわけで本当に今後10年なんてのは神頼みしたくなるほど想像し難い。
今回の本

2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)
神田 昌典
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著者の神田昌典氏がちょっとぶっ飛び過ぎじゃないと思うような持論を展開する
非常に考えさせられる本である。
さてさて、今後10年の私たちの指針は見つかるのでしょうか?
【目次】
【書感】
この10年どうなるか?
正確にどうなるか?
なんていうのは誰も分からないことだろう。
それを、著者は独自の解釈で次のように想定している。
この予言、あくまでも著者が述べていることであって
狼少年的な要素が含まれているかもしれない。(と著者も言っているし。)
しかしながら、今後10年で日本で、世界で
大きなインパクトが起こることは間違いないのかもしれない。
その理由として歴史を次のように紐解くとちょっと納得がいく。
例えば今から70年前の歴史を追うと日本では次のようなことが起きている。
1941年 太平洋戦争が開戦
1942年 ミッドウェー海戦 戦局の転換
1943年 学徒出陣
1944年 学童の疎開促進
1945年 広島・長崎原爆投下、終戦、財閥解体
1946年 金融緊急措置令
1950年 朝鮮特需ブーム
で現在の日本。
2011年 東日本大震災・福島原発事故
2012年 ?
2013年 ?
2014年 ?
2015年 ?
…
こう見ると、これから先恐ろしいことがおこるかもしれないし、
楽観的に見ると今が最底辺で、これからは昇っていくだけなのかもしれない。
まぁ、この分析も狼少年になり得るとも著者自身書いてあるし、
信じるも信じないも自由だが、こういう想像は個人的には嫌いではない。
トリガーが2011年だとすると、2015年にとてもインパクトが大きいことが起きそうな気もしなくもない…。一説には今後34年以内に大地震が起こるのは確定的なんて言っているし…。
どちらにしても、時代が動こうとして節目、変わり目であることは間違いなさそうであって
次に私たちはどう用心すればいいか考えていきたい。
この混沌の時代の解決策を「戦争」という形で破壊と再生という手もありそうだが、その手は繰り返してはいけない地獄であり、それを起こすなんて考えることはナンセンスではないだろうか。
というわけでその更に70年周ワンサイクル前を見てみる。
すると多少前後はするものの、
1867年大政奉還
1868年明治維新
もちろん人的被害はあったが、
歴史上、無血での革命が行われていることに気づける。
この時代民衆は、幕府派、倒幕派と判断が難しくなり、判断を放棄して神頼みに逃げ、スピリチュアルブームが起きる。そのブームに乗じて民衆を煽動して起こした「ええじゃないか」(詳細はリンク先参照)がある。
この「祭り」ではスピリチュアルブームの中撒かれたお札、小判はたまた若い女まで「ええじゃないか」と撒かれたそうだ…。まさに狂乱、つまり「祭り」により民衆を狂わせてしまったわけだ。
ただ、戦争という「地獄」か「祭り」かであれば当然「祭り」のほうがいい。
例えば今後また地震という危機は起こりえるわけであり、それに対して備える「防災」という手段があるわけだがリソースもコストもかかり、タダなんかではできない。
そこで、この「祭り」が出てくる。
著者が述べている「祭り」は次のようなことを起こす。
例えば、防災訓練がおざなり、徹底、習慣化できないというのを神輿を担ぐルートで避難場所ルートを確認することであったり、つながりが希薄になる地域社会を祭りによって世代間の絆を強くするであったり、ほんの一部の人しか興味を示さない防災を祭りというエンターテイメントを起こすことで必然的に身につけたり等々。
これまで地域の密着というものが希薄だったのであれば、「防災」というネタを使って地域の人を集めて、酒でも飲み交す場を作れば知り合いが増える。
「祭り」や「防災」というプロセスを考えるのと同時に社会問題的なことを視野に考えていけば、地域経済活性化のアイデアや雇用創出のアイデアだって生まれる可能性もありえるかもしれない。
すべて可能性なのかもしれない。
ただ、想像すらする前に諦め、考えをやめるのは愚の骨頂だし、想像して行動して失敗しても、またやり直してみる。そういうチャレンジングな精神は必要なのではないだろうか?
中国語が必要かは自分の職業のジャンルによるかもしれないが、相対的なパイの大きい英語はやっぱり抑えておいたほうがいいわけだし、一流に触れておくというのも納得できる。ただ、個人的には技術者、エンジニアなどの専門性というのも必要だと思うので日進月歩学ぶという覚悟が必要ではないかなとも思える。
何か自分のスペシャルを持っていれば色々な人の為に、役立つことができるだろうし、他の人との創造の幅も広がることは間違い無いだろう。
自分の力を磨いていくのも十分「備え」になるのではないだろうか。
だって10年前の自分が今の自分になることを想像できたか?
その回答は自分の場合「No」になってしまう。
まぁ、人によっては想像通りの自分になっているかもしれないけれど、それはなかなか稀有なのではないかなと思う。
ただ、これからの10年は行動次第で想像通り、それ以上になれるかもしれないという可能性だってあるわけで(もちろんなれない可能性もあるだろうし、その可能性のほうが高いかもしれない)それは本人の生き方次第だと思う。
これまた著者の理論になるが、自分の人生を12人の役者が登場するひとつの演劇ととらえ、7年周期でスポットライトが当たるという考え方をしていて、それがちょっと先を見据えるのに役立つかもしれないので、その一部分を下記に載せる。

適用できるかできないかは置いておくとして指針としては役に立つのではないかなと思う。というか自分の場合はthe Warriorでありthe Seekerでありで自分の該当するthe Caregiverの気がちっともしないのだがthe Seekerの時代ではthe Caregiverの時に培った己の強みをより深めていくのだという指針が書かれている。
自分の場合、焦りすぎずに、常に好奇心と探究心を持って
そして、少しずつ自分という個から人の為に役立てるような後悔の無いような10年が描いていければ、それは幸せなのかななんて思う。

2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)
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【後記】
雪の日に雷なんてなったっけ?と寒さに震えている今日この頃です。
今回紹介した本の中で、イン・フォメーションからエクス・フォメーションへみたいなことが書いてあったのだけれども、

要はインプットしたものをソーシャルにアウトプットしていくという前からあるような言い回しなのだけれども、著者の神田昌典さんの言い回しが美味いなぁと関心してしまった。
ということで、エクス・フォメーションできる人間に成長はしていきたいものです。
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第1章 先が見えない世の中って言うけれど、それは天気予報があるのに知らないようなもんだ
第2章 平成「ええじゃないか」が、なぜ必要か?
第3章 踊る中国 沈む日本
第4章 二〇二四年、会社はなくなる?
第5章 イン・フォメーションから、エクス・フォメーションへ
第6章 四〇代が、時代のはざまに架ける橋
第7章 二〇二二年―再びページを開くとき
【書感】
この10年どうなるか?
正確にどうなるか?
なんていうのは誰も分からないことだろう。
それを、著者は独自の解釈で次のように想定している。
・二〇一二年には、「効率」「情報」の時代が終焉し、「共感」「つながり」の時代へ本格シフトとなんとも大胆な予言をしているわけだが、これでも他の専門家が予想する未来と比べれば大分保守的だそうだ…。
・共感の時代のプラットフォームが、フェイスブック。そのアプリの発展により、個人ビジネスがより身近に。ビジネスパーソンが当たり前のように副業を開始。
・二〇一三年に中国、アメリカが激震。金融危機が発端か?
・二〇一五年までに、明治維新、太平洋戦争終戦に匹敵する変革が起こる。その規模は、国の体制が変わるほどであり、革命と呼んだほうが適切。価値観がひっくり返り、ビジネスよりも、宗教が価値を持つ時代がはじまる。
・二〇一六年に国家財政破綻、預金、年金も二束三文になると覚悟しなければならない。
・二〇一六年以降、憲法改正もありえるほどの、社会変化。電力と同様に、教育も自由化の検討へ。今後は中央集権から、地域コミュニティを基盤とする社会体制へ。
・二〇二〇年頃までには、北朝鮮の体制崩壊をきっかけに、儒教を伝統とする国家(日本、韓国、北朝鮮、台湾、中国)が儒教経済国を形成しはじめる。
・二〇二二年頃から、ようやく次世代産業(エネルギー・医療・バイオ・環境・ロボット等)が雇用の受け皿となりはじめる。
・二〇二四年には、会社がなくなる!?
さらに、その先を予想すると…
・二〇三三年までに、NPOをはじめとした社会事業が、雇用の中心的な受け皿に。国のかたちが変わる。国境に影響されない、新しい世界政府のかたちが見えはじめる。
・二〇五〇年までに、診断技術が格段に進歩し、病気が激減する。
・二〇六七年までに、食料革命が起こり、貧困がなくなる、等々。
この予言、あくまでも著者が述べていることであって
狼少年的な要素が含まれているかもしれない。(と著者も言っているし。)
しかしながら、今後10年で日本で、世界で
大きなインパクトが起こることは間違いないのかもしれない。
その理由として歴史を次のように紐解くとちょっと納得がいく。
■70年周期で歴史は繰り返される
これも著者の理論であるが歴史は70年周期で繰り返される周期で歴史を紐解く理論を展開している。例えば今から70年前の歴史を追うと日本では次のようなことが起きている。
1941年 太平洋戦争が開戦
1942年 ミッドウェー海戦 戦局の転換
1943年 学徒出陣
1944年 学童の疎開促進
1945年 広島・長崎原爆投下、終戦、財閥解体
1946年 金融緊急措置令
1950年 朝鮮特需ブーム
で現在の日本。
2011年 東日本大震災・福島原発事故
2012年 ?
2013年 ?
2014年 ?
2015年 ?
…
こう見ると、これから先恐ろしいことがおこるかもしれないし、
楽観的に見ると今が最底辺で、これからは昇っていくだけなのかもしれない。
まぁ、この分析も狼少年になり得るとも著者自身書いてあるし、
信じるも信じないも自由だが、こういう想像は個人的には嫌いではない。
トリガーが2011年だとすると、2015年にとてもインパクトが大きいことが起きそうな気もしなくもない…。一説には今後34年以内に大地震が起こるのは確定的なんて言っているし…。
どちらにしても、時代が動こうとして節目、変わり目であることは間違いなさそうであって
時代の変わり目は、想定外の連続。とにかく用心に越したことない。と述べている意見にもなんとなく頷ける。
次に私たちはどう用心すればいいか考えていきたい。
■「祭り」によって解決するもの
70年前の戦争による破壊と創造は大きな人的被害も被ったし、歴史にも残っている。この混沌の時代の解決策を「戦争」という形で破壊と再生という手もありそうだが、その手は繰り返してはいけない地獄であり、それを起こすなんて考えることはナンセンスではないだろうか。
というわけでその更に70年周ワンサイクル前を見てみる。
すると多少前後はするものの、
1867年大政奉還
1868年明治維新
もちろん人的被害はあったが、
歴史上、無血での革命が行われていることに気づける。
この時代民衆は、幕府派、倒幕派と判断が難しくなり、判断を放棄して神頼みに逃げ、スピリチュアルブームが起きる。そのブームに乗じて民衆を煽動して起こした「ええじゃないか」(詳細はリンク先参照)がある。
この「祭り」ではスピリチュアルブームの中撒かれたお札、小判はたまた若い女まで「ええじゃないか」と撒かれたそうだ…。まさに狂乱、つまり「祭り」により民衆を狂わせてしまったわけだ。
ただ、戦争という「地獄」か「祭り」かであれば当然「祭り」のほうがいい。
例えば今後また地震という危機は起こりえるわけであり、それに対して備える「防災」という手段があるわけだがリソースもコストもかかり、タダなんかではできない。
そこで、この「祭り」が出てくる。
著者が述べている「祭り」は次のようなことを起こす。
例えば、防災訓練がおざなり、徹底、習慣化できないというのを神輿を担ぐルートで避難場所ルートを確認することであったり、つながりが希薄になる地域社会を祭りによって世代間の絆を強くするであったり、ほんの一部の人しか興味を示さない防災を祭りというエンターテイメントを起こすことで必然的に身につけたり等々。
これまで地域の密着というものが希薄だったのであれば、「防災」というネタを使って地域の人を集めて、酒でも飲み交す場を作れば知り合いが増える。
「祭り」や「防災」というプロセスを考えるのと同時に社会問題的なことを視野に考えていけば、地域経済活性化のアイデアや雇用創出のアイデアだって生まれる可能性もありえるかもしれない。
すべて可能性なのかもしれない。
ただ、想像すらする前に諦め、考えをやめるのは愚の骨頂だし、想像して行動して失敗しても、またやり直してみる。そういうチャレンジングな精神は必要なのではないだろうか?
■今、息子へのキャリア・アドバイス
「祭り」を起こそうと言われてもなんとなくピンとこない場合や、自分に何ができるかわからないなという人には、高校2年の息子に向けて今後に備えて著者が書いたメッセージがあるので、そちらが参考になるかもしれない。実際問題、キミがやるべきことは三つ。この三つは、世の中がどんなになろうとも、必ず宝に変わる。だから、つべこべ言わずにやれ。大分間を省きつつ長々引用したが、これでも熱く息子へのメッセージとして書かれている。これは本書内で、高校生の息子に向かって書かれたメッセージなわけなのだけれども、20代の人間にも十分言えることではないだろうか?
まず海外留学。まず英語、そして中国語。
私が高校生だったら、日本の大学に入学した後、夏休みの間はハーバード大学のサマースクールに通う。円高を考えれば高い学費じゃない。それから北京大学のキャンパスへも、語学講座を探して、通うだろう。敷居が高いように思えるが、短期なら誰でも行ける。理由は、英語と中国語ー二ヶ国語に抵抗をなくしておくためだ。しかも履歴書に書けるという特典付きだ。
英語は日本人に必要ない、という極論もあるが、それを信じちゃいけない。
経済が伸びている間は、日本人というだけで相手にしてくれたから、日本語だけでもごまかせた。しかし日本の相対的地位は、今後ますます落ちていく。一方、日本のGDPを超えた、ますます成長する中国の大学生は、誰でも英語ができる。そんな状況になっても「英語はいらない」というのは、傲慢な醜い日本人だけだ。(中略)
そもそも外国語が難しいというのは、学び方が間違っているからだ。
問題は、ネイティブのようにすべてのシチュエーションで、外国語を話せなければならぬという教育だ。その思い込みさえ取っ払えば、外国語は誰でもしゃべれるようになる。(中略)
二つ目は、ボランティア体験だ。
まずは、被災地に足を運べ。
君が被災地に行ったところで、何も変わらない。だが、君は大きく変わる。
日常の中で「希望」を描くことはできない。そんなものは、自己啓発セミナーで願望を一〇〇個、書かされるような表層的なものだ。
だが、日常が大きく欠落したとき、はじめて自分を見つめ直すことができる。欠落の中で、自分が世界で埋めるものは何かに気づかされる。
そこは、日本でありながら、世界のリーダーたちを集める求心力に満ちている。(中略)
三つ目は、優秀な人材が集まる場所の空気を吸え。
生活のためだけに金を稼ぐような仕事には、関わるな。
とにかく無理目を狙って、優秀な人がいそうな場所に近づけ。
私の最初の仕事はつまらなかった。コピーとりや清書ばかりの仕事で、ワープロルームに入っては、昼寝していたほどだ。
だが、そんなつまらない日常でも、数年に一回、自分みたいな、ちっぽけな人間が、こんな場所にいていいのか、という機会に出くわすことがあった。
東京サミットが開催された年のこと。私の仕事は、取材記者たちに「一歩下がってくださーい」と叫ぶだけだ。しかし、そのときに遠目に見ることができたのは、レーガン大統領、サッチャー首相、中曽根総理大臣、安倍外務大臣、昭和天皇などなど。さらには、このオーラの持ち主は誰だ、と思ったら、そこにはソニー創業者の盛田昭夫氏がいた。
彼らの姿は、いまも脳内に焼きついている。それが大きくキミのセルフイメージを引き上げる。セルフイメージが、未来のキミを創るのだ。だから、有能な人と同じ空気が吸える日が一瞬でもあればいいのだ。あとは、どんなに腐っていようが、関係ない(中略)
この三つは、異なるように見えて、結局、同じことを言っている。
日本人は世界のリーダーだ。それを自覚せよ、ということだ。
こぢんまりと、まとまるな。
つべこべ言わずに、世界に出ていきやがれ。
それが、これから一〇年、キミが活躍するための条件だ。
中国語が必要かは自分の職業のジャンルによるかもしれないが、相対的なパイの大きい英語はやっぱり抑えておいたほうがいいわけだし、一流に触れておくというのも納得できる。ただ、個人的には技術者、エンジニアなどの専門性というのも必要だと思うので日進月歩学ぶという覚悟が必要ではないかなとも思える。
何か自分のスペシャルを持っていれば色々な人の為に、役立つことができるだろうし、他の人との創造の幅も広がることは間違い無いだろう。
自分の力を磨いていくのも十分「備え」になるのではないだろうか。
●最後に
と色々書いてきたが、結局のところ2022年がどうなるかなんてのはわからない。だって10年前の自分が今の自分になることを想像できたか?
その回答は自分の場合「No」になってしまう。
まぁ、人によっては想像通りの自分になっているかもしれないけれど、それはなかなか稀有なのではないかなと思う。
ただ、これからの10年は行動次第で想像通り、それ以上になれるかもしれないという可能性だってあるわけで(もちろんなれない可能性もあるだろうし、その可能性のほうが高いかもしれない)それは本人の生き方次第だと思う。
これまた著者の理論になるが、自分の人生を12人の役者が登場するひとつの演劇ととらえ、7年周期でスポットライトが当たるという考え方をしていて、それがちょっと先を見据えるのに役立つかもしれないので、その一部分を下記に載せる。

適用できるかできないかは置いておくとして指針としては役に立つのではないかなと思う。というか自分の場合はthe Warriorでありthe Seekerでありで自分の該当するthe Caregiverの気がちっともしないのだがthe Seekerの時代ではthe Caregiverの時に培った己の強みをより深めていくのだという指針が書かれている。
自分の場合、焦りすぎずに、常に好奇心と探究心を持って
そして、少しずつ自分という個から人の為に役立てるような後悔の無いような10年が描いていければ、それは幸せなのかななんて思う。

2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)
神田 昌典
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【後記】
雪の日に雷なんてなったっけ?と寒さに震えている今日この頃です。
今回紹介した本の中で、イン・フォメーションからエクス・フォメーションへみたいなことが書いてあったのだけれども、

要はインプットしたものをソーシャルにアウトプットしていくという前からあるような言い回しなのだけれども、著者の神田昌典さんの言い回しが美味いなぁと関心してしまった。
ということで、エクス・フォメーションできる人間に成長はしていきたいものです。
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