2012年03月11日
大きな大きな震災、そして原発事故が起きてから
もう1年という月日が経ってしまった。
たくさん方が亡くなられたし
人生観を変えられてしまった方
今もなお避難所で生活している方
いろんな人がいるだろう。
今回紹介する本は震災を
東北旅行中に体験した
25歳の小説家の手によって書かれた本だ。
暗い夜、星を数えて: 3・11被災鉄道からの脱出
彩瀬 まる
[詳細はAmazonで⇒]
自分なりに1年経った震災というものを風化させないように
本書とともに考えてみたいと思う。
もう1年という月日が経ってしまった。
たくさん方が亡くなられたし
人生観を変えられてしまった方
今もなお避難所で生活している方
いろんな人がいるだろう。
今回紹介する本は震災を
東北旅行中に体験した
25歳の小説家の手によって書かれた本だ。
暗い夜、星を数えて: 3・11被災鉄道からの脱出
彩瀬 まる
[詳細はAmazonで⇒]
自分なりに1年経った震災というものを風化させないように
本書とともに考えてみたいと思う。
【目次】
【書感】
本書は前述したとおり、たまたま東北地方に旅行に行っていた著者が
3.11に遭遇してどんな体験をしたか
そしてその後どんな活動をしたかということが書かれている。
1章では著者が体験した仙台から福島県いわき市に向かう最中の常磐線で経験した地震、そこから知り合った人との脱出。地震という恐怖、津波という恐怖
そして、原発事故という見えない恐怖の様が書かれている。
ただ個人的に読んでいて複雑な気分になったのは
著者が6月にいわきをボランティアで訪れたことと
11月に地震の際に助けてもらった方を訪れるため相馬市に向かう
2章、3章に書かれる、地震後の話なのではないかと思う。
震災後6月、著者はボランティアでいわき市を訪れる
この作業は原発から27kmのところで家屋の掃除だったそうだが、掃除をしていくと身体の不自由なお年寄りの男性が住んでいた家だと分かり捨てるのを躊躇するような、介護の人とやりとりしていたメモや神棚、仏壇、ガラスに入った無傷の和人形、お守りご当地のグッズがたくさんついたキーホルダーなど心を痛めながら作業をした様が描かれている。
また、ボランティアのお礼に現地の男性から
おいしそうなタマネギを貰うエピソードが書かれているが何とも心苦しい。
依頼主の男性が全国から無償でやって来たボランティアの人々に自慢の野菜をせめて土産に持たせようとしてくれたわけで、いたって普通の善意ある行為である。
しかし、そのタマネギが取れた場所は「原発から27km」という距離である。
著者は貰いはしたものの、やっぱり食べるのは躊躇して
現地の友人にタマネギを食べるにしても処分するにしても受け取る
という言葉に甘え渡してしまいつらい思いをした様を書いている。
また、福島の人々は家族の中にも線量を気にしたり、しなかったりで窓を閉めたり、閉めなかったり揉めたりとか、子どもが心配だからと土地を離れていく人、他の土地に行くくらいであれば放射能の影響を受けたとしてもここに残りたいと残る人
女性の場合は将来子供を産むことに影響が出てしまうのではと考える人、考えない人
読んでいて、その人なりの決断があり
何が良い行動なのかとわからなくなっていく。
著者が11月に福島の相馬市を訪れた際は震災の時にお世話になった人に再会するのだが、子どもへの影響が心配でやはり食べ物をできれば県外産を選んでしまうような現状であったり。
かつて魚が自慢の土地で、知り合いの漁師さんが分けてくれていたがその魚もいまでは海の汚染を心配して、食べられずという他に、
別の話では、身内が福島から宮城に車で行った際に車に「汚染車」と落書きされたりし、他の県に行くのすら怖くなったというエピソードも書かれている。
「福島」というだけで…。
この心ない行為を受けた話を聞き、著者は
相馬市から福島駅へ、タクシーで1時間
そこから更に新幹線で東京へ2時間
福島は本当に近い
この近さが切ない
東京に帰って雑踏の中で著者は「自分の人生に原発事故というものが降りかかり、その苦悩を、被害を、偏見を引き受けざるを得なくなること」を想像する人は、どれくらい居るのだろう、自分が差別をしてしまう瞬間を「自分の身に降りかかる」まで結局分からないと綴っている。
書いた著者。この意見に残念ながら僕も同意するしかないと思う。
実際に家族を失ったわけでもなく、家や大切な思い出を失ったわけでもない人間が
それを経験してしまった人に対して分かろうとしても結局のところわからない、綺麗事になってしまうのかもしれない。
じゃあ、何ができるのか?
といざ自分に問うと
「わからない」
という答えがでてしまうのかもしれない。
ただ、そこで
「わからない」を選択してしまうのは
あまりにも現実逃避な回答なのかもしれない。
「わからない」と考えるのを辞めてしまうことは
思考停止して全てを流れにまかせるだけになってしまうのではないだろうか?
昨年の地震で経験した、直後に食料を買い占める行動、ガソリンを確保するのに必死になってあり得ないぐらい並ぶ人々、メディアに恐怖を植えつけられっぱなしで考えるのを辞めてしまう人々
そういった人々の行動から自分はそれに該当しないように備えて、と教訓になり学ぶことも多かったのではないだろうか。
まだできるかもしれないとボランティアに励んだり、脱原発を謳うのであれば、電気を極力利用しない生活を送ったり、それなりに工夫したり、覚悟することはできるかもしれない。
こういう本を読んで考えることだって本当に小さいけれどもひとつの行動かもしれない。
はたまた、今の自分には何もできない、と無力感を感じるのであれば、その力をバネにスキルだったりを
身につけて貢献できるようになるというのだってありなのではないだろうか。
何が正解か、なんてものはやっぱり無いわけで
1年経っても、何年経っても出来事を忘れずに
一人一人ができることは何かと真摯に考えて
一歩一歩、歩みを止めずに踏み出していくしかないのかもしれない。
最後に、震災の犠牲者の方々に心よりご冥福をお祈りいたします。
暗い夜、星を数えて: 3・11被災鉄道からの脱出
彩瀬 まる
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No.501 Presented by hiro
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第1章 川と星
第2章 すぐそこにある彼方の町
第3章 再会
終わりに
【書感】
本書は前述したとおり、たまたま東北地方に旅行に行っていた著者が
3.11に遭遇してどんな体験をしたか
そしてその後どんな活動をしたかということが書かれている。
1章では著者が体験した仙台から福島県いわき市に向かう最中の常磐線で経験した地震、そこから知り合った人との脱出。地震という恐怖、津波という恐怖
そして、原発事故という見えない恐怖の様が書かれている。
ただ個人的に読んでいて複雑な気分になったのは
著者が6月にいわきをボランティアで訪れたことと
11月に地震の際に助けてもらった方を訪れるため相馬市に向かう
2章、3章に書かれる、地震後の話なのではないかと思う。
震災後6月、著者はボランティアでいわき市を訪れる
この作業は原発から27kmのところで家屋の掃除だったそうだが、掃除をしていくと身体の不自由なお年寄りの男性が住んでいた家だと分かり捨てるのを躊躇するような、介護の人とやりとりしていたメモや神棚、仏壇、ガラスに入った無傷の和人形、お守りご当地のグッズがたくさんついたキーホルダーなど心を痛めながら作業をした様が描かれている。
また、ボランティアのお礼に現地の男性から
おいしそうなタマネギを貰うエピソードが書かれているが何とも心苦しい。
依頼主の男性が全国から無償でやって来たボランティアの人々に自慢の野菜をせめて土産に持たせようとしてくれたわけで、いたって普通の善意ある行為である。
しかし、そのタマネギが取れた場所は「原発から27km」という距離である。
著者は貰いはしたものの、やっぱり食べるのは躊躇して
現地の友人にタマネギを食べるにしても処分するにしても受け取る
という言葉に甘え渡してしまいつらい思いをした様を書いている。
また、福島の人々は家族の中にも線量を気にしたり、しなかったりで窓を閉めたり、閉めなかったり揉めたりとか、子どもが心配だからと土地を離れていく人、他の土地に行くくらいであれば放射能の影響を受けたとしてもここに残りたいと残る人
女性の場合は将来子供を産むことに影響が出てしまうのではと考える人、考えない人
読んでいて、その人なりの決断があり
何が良い行動なのかとわからなくなっていく。
著者が11月に福島の相馬市を訪れた際は震災の時にお世話になった人に再会するのだが、子どもへの影響が心配でやはり食べ物をできれば県外産を選んでしまうような現状であったり。
かつて魚が自慢の土地で、知り合いの漁師さんが分けてくれていたがその魚もいまでは海の汚染を心配して、食べられずという他に、
「相馬市でも、たくさんの方が津波で亡くなりました。まだ行方不明のまま、見つかっていない方も大勢います。その海でとれた魚を食べるのは、辛いです。万が一ご遺体をつついていたらと思うと、あまりに申し訳なくて食べられない」という話は本を通してだけれども何か心が痛くなる。
別の話では、身内が福島から宮城に車で行った際に車に「汚染車」と落書きされたりし、他の県に行くのすら怖くなったというエピソードも書かれている。
「福島」というだけで…。
この心ない行為を受けた話を聞き、著者は
私は逆に、無理なのだ、と思った。この、放射性物質という見えない恐怖に、国民全員が「理性的に、落ちついて、差別が起こらないよう冷静な対応をすること」は、出来ないのだ。安全か、安全じゃないか、どこまで安全か、何年経っても安全か、その情報は、本当か。こんなグレーゾーンを抱え込み、それでも全員が理性的に振る舞い、被災者と苦痛や不安を共有できるほど、きっと私たちの社会は成熟していないのだ。妄想がふくらみ、不信が起こり、その鬱憤がこうして、ただでさえ日々辛い思いをしている人へ向けられる。と綴っている。
相馬市から福島駅へ、タクシーで1時間
そこから更に新幹線で東京へ2時間
福島は本当に近い
この近さが切ない
東京に帰って雑踏の中で著者は「自分の人生に原発事故というものが降りかかり、その苦悩を、被害を、偏見を引き受けざるを得なくなること」を想像する人は、どれくらい居るのだろう、自分が差別をしてしまう瞬間を「自分の身に降りかかる」まで結局分からないと綴っている。
●最後に
「自分の身に降りかかる」まで結局分からないと書いた著者。この意見に残念ながら僕も同意するしかないと思う。
実際に家族を失ったわけでもなく、家や大切な思い出を失ったわけでもない人間が
それを経験してしまった人に対して分かろうとしても結局のところわからない、綺麗事になってしまうのかもしれない。
じゃあ、何ができるのか?
といざ自分に問うと
「わからない」
という答えがでてしまうのかもしれない。
ただ、そこで
「わからない」を選択してしまうのは
あまりにも現実逃避な回答なのかもしれない。
「わからない」と考えるのを辞めてしまうことは
思考停止して全てを流れにまかせるだけになってしまうのではないだろうか?
昨年の地震で経験した、直後に食料を買い占める行動、ガソリンを確保するのに必死になってあり得ないぐらい並ぶ人々、メディアに恐怖を植えつけられっぱなしで考えるのを辞めてしまう人々
そういった人々の行動から自分はそれに該当しないように備えて、と教訓になり学ぶことも多かったのではないだろうか。
まだできるかもしれないとボランティアに励んだり、脱原発を謳うのであれば、電気を極力利用しない生活を送ったり、それなりに工夫したり、覚悟することはできるかもしれない。
こういう本を読んで考えることだって本当に小さいけれどもひとつの行動かもしれない。
はたまた、今の自分には何もできない、と無力感を感じるのであれば、その力をバネにスキルだったりを
身につけて貢献できるようになるというのだってありなのではないだろうか。
何が正解か、なんてものはやっぱり無いわけで
1年経っても、何年経っても出来事を忘れずに
一人一人ができることは何かと真摯に考えて
一歩一歩、歩みを止めずに踏み出していくしかないのかもしれない。
最後に、震災の犠牲者の方々に心よりご冥福をお祈りいたします。
暗い夜、星を数えて: 3・11被災鉄道からの脱出
彩瀬 まる
[詳細はAmazonで⇒]
No.501 Presented by hiro
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